2005年10月29日土曜日

スパイラル/上原ひろみ

spiralややミーハー的なファンとなりつつありますが、上原ひろみの3rdアルバムを購入。弊社の食堂でポスター付きで出張販売しておりました。
まあ、所詮ジャズ、フュージョンは門外漢なので、その筋の専門的なことは言えないのですが、やっぱりそれでも、上原ひろみはいいなあ、と肌で感じられます。もちろん、演奏の確かさというのもあるのだけど、全て彼女自身が作曲しており、それぞれの曲から感じられる創造性のようなものが、私の感覚に合うのだと思います。
今回のアルバム、今までに比べると、ちょっとキャッチーなメロディが減って、全体的に渋さが増しているような・・・。中盤に組曲風の作品があるのだけど、私には組曲である必然がちょっとわかりません。こういう世界に挑戦するのなら、曲の構成にもう一ひねりあるといいのだけど。
でも、その組曲の中、「リヴァース」「エッジ」という曲のプログレ感は大変よろしい!ピアノでなくて、ハモンドオルガンで弾いたら、往年のプログレの世界になっていくに違いありません。

初回プレス限定の特典DVDには、前アルバムの一曲分のライブ映像が収められています。相変わらず、にこやかに、そして身体全体で音楽を表現する、彼女のパフォーマンスが見られます。私など、これこそライブの面白さだなあと思うのだけど、フュージョンに詳しい友人には、どうも彼女の仕草がわざとらしく、あるいはあざとく感じてしまうらしい。なるほど、正統派の人たちから見ると、そういう見られ方もするよなあとちょっと納得。
そのDVDで彼女が使っている真っ赤のシンセサイザーは、スウェーデンのメーカの Nord Lead という機種。これ、プロの中では愛好者が多く、主張のはっきりした製品で、私も欲しいと思う逸品の一つ。日本のメーカには、一点突破型のこんな製品はなかなか作れないんです。こういうシンセ選びのセンスなんかも、ジャズの世界に留まっていない彼女のありようを表しているように思います。

2005年10月25日火曜日

メンデルスゾーンを歌う

日曜日、アンサンブルムジークの日独交流コンサートが浜松アクト中ホールで開催され、出演してきました。
アンサンブルムジークは女声合唱団ですが、今回は男声も集め、ドイツから来た合唱団とジョイントで演奏するという企画です。
合唱の曲目はメインがメンデルスゾーン作曲ラウダシオン、あとモテットの"Mitten wir im Leben sind"も歌いました。
はっきり言って、音楽的な好みがますますロマン派から離れている今、メンデルスゾーンなんてもっとも縁遠い状態なんですが、やはり歌ってみるとなかなか面白いんですね。ラウダシオンは全体的にメロディがキャッチーで、印象的なフレーズも多いです。曲もバラエティに富んでいます。それでも、やはりロマン派的な雰囲気が色濃く漂っていて、正直もう少し刺激のある音が欲しいよな・・・とは感じていましたが。
今回、実は一番歌っていて楽しかったのは8声のアカペラのモテット"Mitten wir im Leben sind"
この曲はいい!確かにロマン派的な雰囲気はあるのだけど、不思議にアカペラのモテットとなると、メンデルスゾーンもメロディをメインにするような書き方はしないのですね。重層的なポリフォニーの世界と、時々各パートに現われる印象的なフレーズが良くマッチした、非常に素晴らしい合唱曲です。長さは8分くらいでしょうか。コンクールでも使えそうな曲。
本番直前にドイツ人が加わったりしたので、演奏の精度自体は決して高くは無かったかもしれませんが、シビアなアカペラ合唱の醍醐味を味わいました。

本番後の打ち上げも楽しかったですね。ドイツ人との交流大会となりました。お互いにいろいろな曲を歌いあったり、片言の英語でいろいろ話したり。このパーティが練習開始以来、一番楽しかったという噂も。

2005年10月20日木曜日

指揮者視点で歌う~音量

音量バランスというのは、どんな音楽ジャンルであっても、最も大事なものであり、音楽をやる者なら誰でも苦労していることの一つです。レコーディングの場でも、最後にミックスダウンという作業があって、ここで各パートの音量バランスを丁寧に調整して、一つの音楽にしていくわけです。PAを使ったコンサートでも、専門のPA担当者が本番中にも慎重に音量調整やイコライジングを行っています。
これがナマのアンサンブル音楽の場合、つねに演奏者が自身の演奏状況を把握し、フィードバックをかけ、音量調整をしなければなりません。しかし、レコーディングやPAのプロの世界に比べると、それは何とも心もとないように思えます。

実際、人数が増えて大編成になってくると、もはや演奏者には全体の音響を把握しづらくなり、一人一人の調整では効かなくなってきます。ここで指揮者の指示が必要なわけです。指揮者が練習やリハーサルを通して、音量の指示を出したなら、当たり前のことだけど演奏者は忠実に守らなければいけません。
演奏者は常に、自分の耳に聞こえる音と、聴衆に聞こえる音が違うことを意識しなければならないし、その違いを指揮者の指示を通して、理解する努力が要ります。これも指揮者視点で歌うことの一つではないでしょうか。

そうはいっても、音量バランスは繊細で難しい問題。指揮者視点といっても、実際に音を聞けるわけではないから、頭の中で想像するしかないのですが、今度はその想像力の質が問われることになってしまいます……

2005年10月19日水曜日

指揮者視点で歌う

私はベースですが、合唱におけるベースの泣き所は高音ではないかと思います。男声の場合、あきらかに実声と裏声の変わり目がはっきりしている人が多く、その直前の音域では咆え声になる人は結構多い。小さな音量で実声で高音を出すのは、恐らくベースが一番下手なのではないでしょうか。(あくまで一般的に)
曲にもよりますが、そういった箇所ではどう歌うべきでしょう。きちんと歌えない自分がいやで、意地でもきちんと歌おうと頑張る人もいることでしょう。確かに3回に1回くらいの確率できちんと歌えるかもしれないけど、それじゃ演奏を聞かせるには忍びない。
もちろん、指揮者の指示があればそのとおりにすべきですが、うまく歌える確率が低い場合、あえて歌わない(あるいは、裏声で抜いてしまうというような)という選択肢もあるはず。もちろん、歌い手としては困難から逃げているように感じるかもしれません。それでも、無理して歌うより歌わない方がまし、ということは、正直あると思うのです。
実際、歌わない、というのは極端すぎますが、それでも今合唱団全体の中で、自分がどのような音を出すべきかということを考えて歌えば、別の歌い方がある場合だってあります。ただ、そのように団全体の音楽を考えて歌うのはそんなに簡単ではないと思います。
恐らく、そんな風に考えることができるのは指揮者経験者だけじゃないかとも思えます。指揮をしたことがある人は、指揮者が何に苦労するかも知っているから、歌い手として不本意なことでも受け入れるだけの素地があるのです。
ときどき、自分の声楽的満足感を満たすために合唱をやっているような人も見かけますが、実はそういう人が一番たちが悪かったりします。いい演奏のためには、もっと一人一人が指揮者の視点で歌うべきなのですが、それを実感してもらうにはどうしたらいいのでしょうね。

2005年10月15日土曜日

タイトル変更

実は私が最初にインターネット上にホームページを立ち上げて10年が経ちました。
考えてみれば随分長い間やってるんだなあ、とも思うけど、10年前とはネット環境も全然違っているし、ブログなんて昔は考えもできなかった。だから、同じことをやり続けたという実感もさしてないのです。それでも「日曜作曲家の午後」というタイトルで長らくやってきて、それなりに愛着は感じてきましたし、ネットでも認知されてきたと思います。
自分のトレードマークともなるタイトルを変えるのはあまり良くは無いけど、10年経ったということもあり、ふとタイトルを変更したくなりました。そう思うと、自分でわざわざ日曜作曲家というのも、何だか作曲活動にエクスキューズをしているようで良くない気がするし、人に歌ってもらう以上は、それなりに自信と責任を持たなきゃいけません。
そんなわけで新タイトルを「アルス・ポエティカ~音と言葉を縫いつける」としてみました。
アルス・ポエティカはラテン語で詩の技法という意味になります。ある意味、曲を作るということは広い意味で詩を書くこととそう変わらないのではないか、そんなつもりで「詩」の技法と名付けてみました。
「音と言葉を縫いつける」というのは、まさに歌を作る仕事そのものではないでしょうか。表現は堀口大学の詩「縫ひつける」を借りてます(タダタケ作曲のやつが有名ですね)。
リンクをしていただいている方々は、リンク先が変わるわけではないですので、暇なときにでもタイトル変更にご対応ください。よろしくお願いします。

2005年10月13日木曜日

見ちゃった…「吹奏楽の旅」

テレビで「吹奏楽の旅」というのをやっていて、思わず見てしまいました。去年も談話でちょっと書いたような・・・
いやあ、基本的には面白いですよ。それに、番組も、これぞ青春って感じの作りになっていて、思わず泣けてしまいます。
ああいう大人数の団体というのは、ほんとにささいなことで笑ったり泣いたりの集団トランス状態に陥ってしまう。先生が怒ることに正当性なんてなくてもいいんです!大事なことは、みんなの気持ちが一つになること。そして、それこそが一体感のある演奏を生むのです。先生もそれをわかっていて、わざと怒っているという気さえする。
しかし、それでもなお、あの集団トランス状態は、先生の気持ちをも巻き込むほど気持ち良いものなんでしょうね。そしてその舞台装置として、全国大会をヒエラルキーの頂点としたコンクールシステムは、彼らにとって無くてはならないものです。そこに数々の人間ドラマが生まれ、高校生が成長していくのですから…

別に嫌味で言っているわけじゃないですよ^^;
この番組が追求している気持ち良さというのは、誰にでも共通に感じることのできるものだと思います。
でもこれじゃ、一般の部の団体の立つ瀬が無いよなあと。そして、そこに話が移ると、ようやく音楽論になっていくわけですよ。そして、コンクールで賞を取るとはどういうことか、こういったジャンルが一般的な音楽の中からちょっと浮いているのは何故なのか、その疑問の迷宮を彷徨っていくことになるのです。

2005年10月8日土曜日

ハーモニーに載った

ハーモニー秋号が来ました。今回はもちろん世界合唱の祭典の記事がほとんどだけど、そんな中で朝日作曲賞の記事も載っています。
応募者としては、いろいろな情報が書いてあるこのページは年に一回のもっとも気になる記事の一つです。組曲公募になって応募数が減ったのが、まただんだん増えているなあ、とか、女声男声混声の比率とか…。審査員のコメントも一字一句が気になります。去年に続き、拙作が演奏審査に残ったので、恐る恐る自作品の評価を読みました。
今年は岸先生がコメント書いていてびっくり。でも比較的好意的な内容でしたね。「複雑すぎる」というのは、全くそのとおりで(^^;)、作曲コンクールとの付き合い方には未だに悩みの連続なのです。確かに、送る前から『ちょっとやり過ぎかなあ』とは思っていたんですが。

拙作の題名や各曲名を見てびっくりした人もいるかもしれません。
組曲自体が結構ネタ系なんですが、こういう曲ってなかなか日本にないと思うのです。今年は、相対性理論発表から100年を記念して世界物理年と決められましたし、そういう意味で、思いがけずタイムリーなネタにもなりました。一見風変わりなテーマですが、こういう題材こそ、合唱エンターテインメントの可能性を拡げるのではないかという思いもあります。音楽的にもいろいろと冒険をしています。
そんなわけですので、この曲に興味がある方、Don't hesitate to contact me!!

2005年10月6日木曜日

複素数の逆襲

仕事の関係で今更ながら信号処理の勉強をやっています。
大学時代のおぼろげな記憶のかなたから、フーリエ変換やらZ変換やらを呼び起こすというか、正直言って初めて理解するというか、そんな状態なわけですが、実は結構楽しんでいます。恐らく、それは現実に音を扱うことを仕事にしたり趣味にしたりした関係なのでしょう。そういった理論が現実世界とどう結びついているのか、今になってとても実感するのです。

そんな中で、全ての基礎となるのが、この複素数というヤツ。高校のときにみんな習ったはず。
二乗したら負の数になるという虚数なんてのが現われて、この実数と虚数の組み合わせの複素数で数字を現すわけです。だいたい、この虚数というヤツは何なんだ、と高校の頃の私はどう思ったか定かではないけど(受験のためだ、なんて冷めてたかもしれない)、だいたいほとんどの人が拒否反応を示すのではないでしょうか。

しかし、この複素数は我々を取り巻く様々な技術の中で応用されています。
デジタル信号処理も複素数が一番最初の入り口。これがないことには何も始まらない。
数学に明るくない私のような者が言うのもなんですが、複素数っていうのは、いわば「見えない次元」なのかな、と思います。音は単なる空気の振動だから、一次元のデータなのに、これを複素数を使って二次元化すると、いろいろな解析が出来るようになるのです。もちろん、その解析にはオイラーの公式という驚くべき式の威力のおかげもあるのですが……
相対性理論でも、不変と思われた時間を三次元に加えて、四次元的に考えることでうまく説明がつくのと似ています。自分たちの位置とは異なる別の次元に昇ることによって、見えなかったことが見えるようになる、というのは普遍の真理なのかも。