2005年11月29日火曜日

CDも買った

最近あまり合唱のCDを買っていなかったのですが、新潟の全国大会では久しぶりに散財。
京都の世界合唱の祭典のCDとDVD、それからオスロ室内合唱団とノルディックボイセスのCDも購入。作曲家ではエリック・ウィテカーの作品集とマンチュヤルヴィの作品集、それから邦人のも一つ。
ウィテカーのも面白かったけど、マンチュヤルヴィのCDがとても良かった。
冒頭がいきなりプシュードヨイク、その他の曲もどれも興味深いです。分かりやすさと現代的な和声感覚、気持ちの良いリズムと私の好きな要素が詰まっています。中には執拗な繰り返しフレーズで、歌手泣かせの曲も。
CDのライナーノーツで作曲家の紹介も載っています。1963年生まれ。音大でなくて、ヘルシンキ大学で英語と言語学を学んだと書いてあります。職業も通訳とか、コンピュータシステムマネージャなんて書いてあります。その一方、合唱団で歌ったり、学生時代オーケストラでティンパニ、ピアノを弾いたり、指揮活動もしている。なかなかマルチタレントな人ですね。こういう人に憧れるなあ。

2005年11月23日水曜日

全国大会に行った その2

今回の全国大会、大学Bの前半5つ、大学Aの前半4つ以外は全部聴きました。
最初の5つが聴けなかったのは、当日朝、浜松から新幹線で行ったのでしょうがないとしても・・・大学Aは、昼休み周りに食事する場所が見つからず、ホール内のレストランで待ち行列に繋がる羽目になり、聴くのはあきらめたのです。そんなわけで、大学の部の演奏のコメントは止めておきます。^^;

全般的には無伴奏化がますます進行し、いわゆる昔ながらのピアノ伴奏付き邦人曲はすっかり少数派となっています。これは私としては好きな傾向。
しかし、そのせいなのか、もう知らない作曲家のオンパレード。ほんとに、まあ、よくもいろんなところから曲を探してくるものです。もう、ニーステッドとかプーランクとかだと、保守的な選曲とさえ思えてしまいます。今年は特にそんな感じだったので、もう全部の作曲家をチェックするのは止めました。
今回の注目作曲家は、ずばりエリック・ウィテカー。2年前にESTが演奏したのが始まりかと思いますが、そのウィテカーを演奏した団体が今年は3団体。来年以降、流行りそうな予感。
というのも、今回圧倒的な印象を残したのが、岡崎混声合唱団の演奏したウィテカー作曲「レオナルドは空飛ぶマシーンを夢見る(Leonard Dreams of His Flying Machine)」。この曲、超カッコいい!題名だけでも十分興味をそそるのですが、曲は期待を裏切らない大変面白いものでした。
レオナルドとは、レオナルド・ダ・ヴィンチでしょう。彼が遺した飛行機のスケッチが、この詩のモチーフなんでしょうか。レオナルドがルネサンス人ということだからなのか、曲はまるでモンテヴェルディのマドリガーレのような雰囲気を強く感じさせつつ、現代的な技法と処理がときどき施されるという趣向。後半になって、リズムが付き、ノリノリの雰囲気になり、カッコいい盛り上がりを作ります。そして、最後は空飛ぶマシーンで消えゆくように、風の音だけが残るというシャレたエンディング。楽譜もCDもゲット。もちろん、自分の周りでは歌えるはずもないですが、作曲する立場としてとても気になる曲です。

さて、一般Aでは、私の一番のお気に入りはアンサンブルVine。素晴らしく整えられた発声とハーモニーで、ひときわ印象が深かったです。曲の雰囲気も非常に私の好みだし、最後の曲の演出も上質なもので、センスの高さを感じさせます。トータルのパフォーマンスとして、とても知的な印象を受けました。
CANTUS ANIMAE, ヴォーカルアンサンブルESTの邦人作品も注目の一つ。最も新しい邦人作品がどのような方向を向いているのか興味が湧きます。二つとも打楽器を使うという点も共通していました。2団体とも、非常に精度の高いアンサンブルを聞かせてくれて、曲の雰囲気を良く伝えていました。それだけに、演奏そのものよりも曲の内容に私自身の興味が移っていたのは事実。
正直に言うと、両曲とも打楽器を使いながら、ビート感が希薄な感じの曲だったのが残念。こういった傾向は前衛的な邦人作品全体に通じるものがあるように思いますがいかがでしょう。

それ以外で印象深かった演奏として・・・
松下中央合唱団の自由曲は良かった。確か、ノースエコーが以前演奏した曲ですね。聞く側にもかなりのテンションを要求しますが、その張り詰めた雰囲気が大きな印象を残しました。
ちょっと毛色が違うところとして、創価学会しなの合唱団もなかなか好印象。東京代表ながら、しなのとはこれ如何に。それはともかく、日本語を非常に彫り深く表現していたのが印象的。信長さんの曲も素晴らしい。

全体的には、面白い団体が関西、中部方面に集中している感じ。関東勢全盛だった数年前とはまた違った雰囲気になってきました。
来年は熊本ですか・・・。自費で行くのはきついなあ。(^^;;;

2005年11月22日火曜日

全国大会に行った その1

週末、新潟の合唱コンクール全国大会に行ってきました。
ここ3年連続で全国大会に行っていましたが、今年はまた別の意味で、全国大会に参加することになりました。
といってももちろん演奏する側で行った訳ではありません。すでにご存知のことと思いますが、拙作が朝日作曲賞の佳作になったため、全国大会の場で行われる表彰式に招待されることになったわけです。
��8年の福岡のときも「だるまさん」の受賞で、全国大会に行ったわけですが、そのとき以来2回目の、チケット代、交通費、宿代連盟持ちの財布の心配のいらない旅となりました。ちょっとばかり優越感。

さてさて、そんなわけなんで、昨年の愛媛のときよりも、いろいろと感慨深い全国大会になりました。
いろいろな方とお会いすることができて楽しかったです。でも、なかなか気の利いたことが言えなかったけれど。
というわけで、演奏云々の前に、今回出会った方たちの紹介をしたいと思います。
●合唱連盟の皆さま
 事務局長の田辺さんを始めとして連盟の皆さまにはお世話になりました。実際、私、ただステージで賞状をいただくだけなんですが、いろいろと気にかけていただきありがとうございます。
連盟の方に、演奏審査で私の曲を歌ったという方がお二人いて、ちょっとお話してくれました。結構、私の曲を気に入ってくれたというような話を聞くと素直に嬉しいですね。私の正直な気持ちは、演奏審査のときだけしか歌われないなんてもったいない!ぜひ、どこかでまた歌って欲しい、といったところですが・・・何とかならないかなあ。
●朝日作曲賞の山内さん
 一緒に賞状をいただいた山内さんとも初めてお会いしました。音大で音楽を教えている本職の方。うぅ、すでに十分貫禄がある感じなんですが・・・。むかし吹奏楽をされていて、やはり器楽中心の作曲をされるようですが、今後、合唱の作曲も増えるのではないでしょうか。
●昔の仲間
 島根のゾリステンアンサンブル(今年は残念ながら全国には行けなかったようですが)のS氏、それから合唱団KMCで参加されていたK氏など、以前静岡にいた合唱仲間と会いました。
●全国大会で会うネット友人たち
 あげさんとか、GiovanniのTachanとか・・・
●メールやり取りをしていたけど、初めて会った方
 会津混声のOさん、お声をかけていただきありがとうございます。「だるまさん」のときはお世話になりました。また、ぜひ拙作を取り上げて欲しいなあ・・・。会津混声は私の好きな団体の一つです。
 今年、北海道代表になった QuaterNotes の指揮者の皆川さんとも会いました。私の古い女声合唱曲を札幌で初演してくれました。そんな彼らが全国大会に来たのは、なんだか嬉しいですね。演奏も非常に声が揃えられていてその精度の高さはすごいと思いました。
●松崎さん
 ご存知の方もいると思います。以前、朝日作曲賞を受賞したこともある作曲家の方。4年前の上野の森コーラスパークで、私と一緒に入賞しました。新潟在住で、実は今回の全国大会でちょっとした仕事をされていたということで昼休みにお会いしました。拙作もお渡ししたので、また批評などいただけるのを楽しみにしています。
●ESTの皆さん
 数年前の宝塚の圧倒的な印象以来、大ファンであるヴォーカルアンサンブルESTの皆さんと、今回ちょっとばかりお近づきになることができました。というのも、私の大学の先輩が最近ESTに参加されていて、全国大会の打ち上げにおいで、と誘われていたのです。
 そんなわけで、土曜日の夜にESTさんの打ち上げに紛れ込ませていただきました。作曲家の鈴木輝昭さん、合唱界重鎮の洲脇さんなども来られてびっくり。しかし、やはりESTって凄いなあと、打ち上げのノリの中でも感じました。本当にみんな練習好きだと先輩にも聞かされましたし、一人一人の合唱への想いというのが本当に強いんですね。今後とも、ますます楽しい合唱を聞かせて欲しいと期待しています。
 指揮者の向井先生にも、ご迷惑かもしれませんが今回の受賞作をお渡しいたしました。またよろしければ、音になったらいいなと・・・いや、そんな大それた事は言えません。

それから、昨年と2年連続で全国出場を果たした浜松合唱団の(良く知った)面々も辺りにうろうろしていて、なんだかはるばる新潟に来たという印象が薄れてしまいそうでした。おまけにウチのヴォア・ヴェールの団員が3人も全国見に来てました。休み時間、ロビーに出れば誰か知り合いと会うというそんな感じの大会でした。

あと最後に、今回の会場のりゅーとぴあは素晴らしいホールです。
音響も品があるし、曲線中心のデザインもなかなかのもの。世の中からは無駄な公共事業と言われそうですけれど。
それでも、こんな音楽専用の立派なホールで全国大会ができるのはとてもよいことだと感じます。全国大会は持ち回りになっていますが、年によってホールに差があるので、そのあたりも何とかならないかなあ、とちょっと感じました。こんないいホールがあるなら、毎年新潟だっていいと思うんですよ。

2005年11月16日水曜日

ヘリウムガスを吸って歌うと音が高くなる?

よくパーティグッズなどで、ヘリウムガスを吸って、変な声になるやつありますよね。
最近ちょっとした折にそんな話をしたのだけど、そのときは何も疑問を持たず、ヘリウムガスを吸って歌うと音が高くなる、と思ったのです。
しかし、よくよく考えてみるとどうにも理屈が合いません。
ヘリウムガスは比重が軽いので、音速が速くなる、とそこまではいいのですが、音速が速いとピッチが高くなるというのはちょっとおかしい。もし、仮にピッチが2倍高くなるのであれば、2秒間の歌が1秒間に短縮されなければいけません。でも、ヘリウムガスを吸って話すと、しゃべるスピードまで速くなるわけじゃないですよね。
ネットで検索してみると、怪しい説明がたくさん。
音速が速くなるが、波長が変わらないから音程が高くなる、などと書かれた説明もありましたが、そんなバカな。音速が速くなればその分波長が長くならなきゃおかしいじゃないですか。
もう一つ、面白い話もありました。ヘリウムガスの中で音を鳴らすと、ピッチが変わるものと変わらないものがあるのです。ギターやラジカセはピッチは変わらない。でもリコーダーはピッチが高くなります。確かに、リコーダーの場合、音速で気柱の長さが変わるからピッチは高くなりそう。
そんなわけで、ヘリウムガスで人の声が変わるのは、声のピッチが高くなる、というような単純な話ではないということにようやく気付いたのです。

・・・というわけで、私が得た結論。
簡単に言えば、ヘリウムガスを吸ったときには、ピッチではなくて、音色が変わるのです。
人間の声は、声帯が振動して音の元を作りますが、その音は身体で共鳴して大きくなり、口や鼻の中で音色が作られます。口や鼻で作られる音色は、母音ごとに周波数特性が違っていて、そういった特性のことをフォルマントというのですが、ヘリウムガスを吸うと、そのフォルマントが高い周波数に移動するのです。
結果的に、声の倍音構成が高い方に変わります。そのために聴感上は音が高くなって聞こえてくるのでしょう。そして大事なことは、いくらヘリウムガスを吸ったとしても、声帯が出している基本ピッチは変わってはいないのです。

2005年11月13日日曜日

異星の客/R・A・ハインライン

Stranger超分厚い文庫本、二月近くかけてようやく読み終えました。私の場合、読書が長期戦になってしまうと、寝る前に朦朧としながら読み続けるので、なかなか内容が頭に入らずさらに長期戦になってしまいます。この本もなかなか面白かったのだけど、あまりに長くて、今となると最初の方、あんまり覚えてなかったりして。
��・A・ハインラインによるSF小説であるこの話は1961年に書かれた、この分野では古典と言われても良いような作品。後書きによると、60年代にこの小説はバカ売れして、ヒッピーの聖典とも言われたとか。確かに、SFとは言いながら、作品に現われるガジェットや、通信などの方法に古さを感じてしまうのは致し方はないでしょうが、そのあたりを責めるのはルール違反でしょう。

ストーリーは、火星人によって育てられた人間が地球に戻ってくるのですが、その男スミスを巡って、世界連邦政府の対応や周辺の人々との確執が始まります。いったんは老作家のもとで暮らすことになったスミスですが、今度は彼が新興宗教まがいのサークルを設立し、そして最後に・・・となるお話。
作者が言いたかったことの一つが、同じく有名なSF小説、「ソラリス」と共通しているような感じを受けました。つまり、全く未知の生物というのは、未知の感覚と、未知の文化と、未知の倫理観を持っているという点です。ソラリスよりはよほど人間には近いのですが、だからこそ人間文化との違いを際立たせることによって、逆に人間が常識だと思っていることを、意識の俎上にあげた上でひっくり返してしまおうという、そんな意図を持った作品。
おかげで、かなり人間にとってのタブーに近いところに踏み込む箇所があります。
例えば、火星では死んだ者を皆で食べるという習慣があることになっている。もっとも火星人は肉体がなくなることは死とは言わず、この小説はでは分裂と呼び、その後長老として精神的に人々の心の中に住むことになるらしいのです。
また、スミスは後半で宗教団体のようなサークルを作るのですが、そこは何というか、いわばフリーセックスのような巣窟となっています。水を分け合うことで水兄弟となり精神的に結びつくことを和合生成と言うのですが、火星人には性がなく、地球人同士で同じようなことを行うのに最も適した行為とスミスが考えたのがセックスだということになるわけです。
恐らく、このようにある閉鎖的な集団で濃密な精神のつながりを持つような生き方、に当時のヒッピーが強く共感したのかなとも思えるし、事実、この小説が発表された後、同じような宗教団体を作った人も現われたとか。

もう一つ、面白いネタとして、この小説の中にグロクする、という動詞が随所に現われます。グロクは火星語で「わかる」とか「認識する」とかに相当するらしいのですが、ハインラインは敢えて造語としてこの言葉を、小説の中で頻繁に使用しています。そしてついにこの言葉、辞書にも載ってしまったらしい。最近では、アップルのスティーヴ・ジョブスが演説の中でこの言葉を使った、とかいう記事も発見しました。
そんなわけで、SFといいながら60年代アメリカに大きな影響を与えたこの本、なかなか秀逸です。SFというよりは、人間の常識とは何か、そういった本質的な疑問を私たちに投げかけます。それと同時に、政治家、宗教家たちの言動への風刺に満ちているのも面白いという、社会的な楽しみも備えています。

2005年11月12日土曜日

無伴奏合唱の作曲 その2

��続きました)
要するに、私が言いたいのは、アカペラにはアカペラの美学というものがあるということ。
それに気付いている合唱人は結構多いと思うのですが、逆に指揮者や作曲家でも気付いていないと思われる人もいるような気がします。
ではアカペラの美学とは何ぞや、とここで文章で書こうとすると、なかなか簡単には言えないのですが、やはりいくつかポイントはあると思います。
一つは、ダイナミクスを拡げたり音の数を増やすよりも、旋律の絡みや、シンプルな動機、旋律が発展していく、といったような書法。そもそも、アカペラが大オーケストラに音量的にも色彩的にもかなうはずもなく、そういう指向を持った音楽をあえてやる意味はないのです。それよりは、各旋律が共有するビートの中でどのように関係性を持ち、相互に影響させていくのか、そういうことに主眼を置いた手法こそ、歌う側も聞く側も楽しいのではないでしょうか。
従って、そういう意味では、ディビジョンを増やして、テンションをたくさん含む和音を鳴らそうとするのも、アカペラ書法としては、あまり良くないと私には思われます。といいながら、こういった書き方は邦人アカペラ合唱曲の一つの特徴でもあり、私も実際には完全に逃れることは出来ていません。
前回も言ったような、”メロディ+ディビジによる分厚い和声”というような曲はたくさん見かけますし、そういう曲を日本語の意味を考えて情感を込めて歌う、というのが日本的アカペラ唱法といってもいいでしょう。本来、音楽のシンプルな気持ち良さを追求すべきであるアカペラに演歌的装飾が施されてしまうのです。
だからこそ、ディビジをできるだけ廃し、各パートの動きをできるだけ際立たせた、そういった書き方をしていきたいと日々思っているところです。


2005年11月10日木曜日

無伴奏合唱の作曲

オリジナル作品一覧を見てもらえばわかりますが、ここ十年来、私は無伴奏、すなわちアカペラ合唱曲ばかり書いています。
作曲を始めたときもアカペラでしたが、このときはピアノ伴奏がうまく書けなかったから。それからピアノ伴奏付きの曲を何曲か書いたのだけど、自分自身の合唱活動とシンクロするように、私の作曲の傾向がすっかりアカペラに移ってしまいました。
もちろん、アカペラとピアノ伴奏付きの曲は作り方も異なるわけですが、実際のところ、そういう差にどれだけの人が敏感に気付いているのか疑問に感じたりもします。
単純に考えれば、ピアノ伴奏曲の方が音符の数が多いから、作曲のレベルも高いように思われますし、何しろ派手で壮大な曲を作ることが可能ですから、一般ウケもいいでしょう。そういった表面的な効果から、ピアノ伴奏の曲はまだまだ広く好まれています。私はそれ自体は全然否定しないし、邦人合唱曲の数々の名曲があることも良く知っています。
問題なのは、そういった音楽傾向を単純にアカペラ合唱に対しても求めてしまうような態度です。
アカペラで、やたらと高音で派手なエンディングがあったりするのは(まあ、人のことは言えませんが)、本来的にアカペラの特質を生かしているとは思えません。

もう一つ、重要な点も指摘したいです。
通常、音楽は、メロディ、ハーモニー、リズムといった要素で考えられるわけですが、単純にあるパートをメロディに、他のパートをハーモニーとリズムに、という書き方はアカペラでは決して好まれないということです。その一つの表れがルネサンスポリフォニーに対する嗜好であることは確かでしょう。しかし、作曲する側がそういうことを考えずに、メロディ主体の音楽をそのままアカペラにしてしまうと、かなり安直な作曲になる場合があります。
自分としては、そういう安易さに陥らないことを肝に銘じているのですが・・・(続くのか?)

2005年11月5日土曜日

楽器フェアに行く

日本における楽器関係の最大(?)のイベント、楽器フェアがパシフィコ横浜で開催されています。昨日、この楽器フェアに行ってきました。
実はこんな仕事をしていながら、楽器フェアに行ったことはなくて、来てみたら意外と楽しかった。このイベントは、恐らく楽器ビジネスをしている人よりも、実際に楽器演奏をしている人のほうが絶対に楽しめると思います。国内で商売している多くの楽器メーカや貿易会社が店を出していて、ここに来れば、いろいろな情報を直接仕入れることが出来るし、詳しいことを聞くことも出来ます。
残念ながら、私はたいして弾ける楽器も無いので、ピアノや、管楽器、エレキギターなど、専門性の高いブースはあまり縁がありませんでしたが、それでも楽器好きの熱気みたいなものは感じました。
せっかくなので写真つきで雰囲気などお伝えしようと思います。

gakki1



ムーグから出展されているテルミン




gakki2 リコーダーアンサンブルの風景




gakki5 二胡の専門ブースも




gakki4 チェレスタの中身を開けて展示




gakki6極めつけはコレ。白鍵だけのピアノ。黒鍵が嫌いな人の福音となるのか?どこが「ド」かわからない、という噂も・・・