2007年1月28日日曜日

作曲家の発想術/青島広志

Aoshima無茶苦茶面白くて一気読みしてしまいました。作曲家を目指そうとしている人の夢を打ち砕き、商売敵を減らそうという目論見なのか、筆者が経験した悲惨な体験の数々を暴露する、というのがこの本の隠れた楽しみ方。名前は伏せてありますが、恐らくその筋では、簡単に誰だか分かってしまうに違いありません。少なくとも、合唱に関する話題では、誰でも知ってる某指揮者の名を思い浮かべたし。

最近はテレビでの露出も増え、アヤしい音楽家としての地位を確保しつつ青島氏でありますが、恐らく日本的な慣習に体質が合わない芸術家の典型なのかとも思います。虚栄で行動することの愚かしさを発言すればするほど、業界から干されてしまう(?)氏の体質には正直共感を覚えるところもあって、そういう目でこの本を読むととても興味深いです。
読んでみると青島氏は音楽史全般について非常に博学。しかも、その本質的なところをよく捉えているように思います。この本は、もちろん著者のぼやきだけでなくて、過去の作曲家の世知辛いエピソードもたくさん散りばめられています。崇高と思われている作曲家の神秘性を信じる人には、受け入れがたいかもしれません。(そういう人が、納豆ダイエットとかに騙されてしまうわけですけど)

実際のところ、氏のようなシニカルな視点は、一般社会の中では「ふざけている」というような反応をされることが多いと思います。それでも、社会に対する(小さな)問題を告発するために、私たちはもっと皮肉屋になるべきじゃないかと感じたりします。欧米って、そういうのってかなり辛辣ですし。
しかし、これだけの実績を持っている人なのに、どうしてそこまで自己卑下するのかなあって部分もあって、私など氏の足元にも及ばないのですが多少は反面教師とさせていただきたいと思います。
それにしても、こんな本さえ、「のだめブーム」の便乗本にしてしまうのは、講談社のしたたかさなんですね。

2007年1月26日金曜日

MIDIデータを地道にアップ

そんなわけで、実は「オリジナル作品一覧」のページで地道にMIDIデータをアップしています。
どれだけの人が私のページで MIDI を聴いてくれているか、はなはだ疑問ではありますが、数少ない私のファンの皆様、ときどき上のページもチェックしてみてください。

今回は、編成的にもっとも演奏される可能性の低い「うろくずやかた」を、なんと!全曲分アップです。
伴奏付きなので、アカペラよりは聞きがいがあると思います。よろしければ全曲通して聴いてみてください。

もう一つ、最近アップした曲で「プエブロ・インディアンの言葉」という組曲から「今日は死ぬのにもってこいの日だ」が聴けます。作曲はもう5年ほど前のことですが、いまだ未初演。
ただ、自分で言うのもなんですが、この曲、きっと感動してもらえると思います。自分の中でも、詩の雰囲気をうまく曲で表現できたと思える一曲。このまま埋もれるのはもったいないので、アップすることにしました。MIDI なので、詩はどうしてもわからないけど、曲の雰囲気が伝われば幸いです。

これらの曲について興味がありましたら、遠慮なく連絡くださいね。

2007年1月22日月曜日

理系芸術

いわゆる理系、文系という区分けが、そのまま学問の種類として人文系、自然科学系となり、各学問はそこからさらに分化されていくという考えが一般的。
しかし、最近思うのは、そういった学問の分け方がだんだん意味なくなってきているように思うのです。特に私には世の中の様々な学問が理系化しているように感じます。いや、理系でも文系的素養が必要とされたりもするので、世の学問が全体的にクロスオーバーし始めているのかもしれません。結局、どんな学問でも幅広い教養が大事ってことなんでしょう。
例えば、言語学なども、音声を扱うとなると音声の解析が必要となります。そうなると、周波数解析の手法や、フォルマントなんていうことは最低限知らなければいけません。経済などは、もうほとんど数学みたいで、経済理論なんてのも数式で表したりします。
また、どんな学問でも最後には人そのものに研究の目が向かいます。人そのものとは、人間の思考を研究するということであり、これは脳科学によって解明されるべき内容となっていきます。そもそも、様々な調査結果などを分析するにも統計学的な処理は必要で、データを扱う一般的な手法は、もはや理系でなくても必要なことだと思われます。
コンピュータが生活の中で大きな役割を担うほど、否応無しに人々に理系的センスを要求しはじめます。コンピュータに関する知識や技術は、少なくとも今後は義務教育になるくらい基本的なリテラシーとなるに違いありません。

前振りが長かったですが・・・つまり、芸術においても、理系的な側面が今後クローズアップされるのではないか、という想像が出来るわけです。前回書いた明和電機なども、一種の理系芸術であると言えるでしょう。機械を作ることの中にも芸術的な感動を与えることができます。機械がどのように動くのか、どのようなUIを持つのか、どのようなデザインなのか、そういったコンセプトそのものが芸術的審美観で語られても、少しもおかしくありません。
一昨年、朝日作曲賞の佳作を頂いた拙作「E=mc^2」なども、科学理論の中にある種の詩情を感じて作ったものです。相対性理論の世界に抱く憧れを詩に、そして音楽にすることも、これは立派な芸術活動であると思います。何かに心を揺り動かされたのなら、そこには必ず芸術的萌芽が存在するはずなのです。
宮沢賢治など、そういった理系芸術のはしりではないかと思ったりします。詩の中に、科学用語などが平気で使われたり、宇宙、星、といったSF的なキーワードにも溢れています。
芸術というと文系的なイメージしかないあなたへ。これからは理系の芸術が流行りますよ。


2007年1月16日火曜日

明和電機を初めて見る

明和電機というアーティストをご存知でしょうか?
中小の電機会社というスタイルを持ちながら、ナンセンスな楽器やオブジェを製作し、それらを使ってパフォーマンスをする団体です。
この明和電機のパフォーマンスと講演を聴く機会がありました。大変面白かった。すごい刺激になりました。

正直言って、社長の土佐氏は非常にセンシティブな感覚を持った芸術家だと思います。もし彼が単なるアホなパフォーマーだと思っている人がいるなら、それは違うと声を大にして言いたい。確かに、ナンセンスな器物、変てこな踊り、おやじギャグ的ネーミングの数々は、彼を手の込んだお笑い芸人と思わせるかもしれません(しかも吉本興業所属)。
しかし、土佐氏の話を聞いて思ったのは、本来、この人はとてつもなくシリアスな思考回路を持っていて、常に自分と世界との関わり、音楽の行く末、などについて真剣に、かつ本質的な思索をしている人だと感じたのです。
そうやって考えてみると、ナンセンスなオブジェの数々の中にも、どこか孤独で、寂しげな影を感じることができます。ふくよかな存在感より、華奢で頼りなさげな感じがするし、場合によっては気味悪いものさえあります。機械の精巧さや動作の面白さだけでなく、デザインセンスにも卓越した感性を持っています。

こんなことを言うとおこがましいのだけど、いろいろな意味で私自身に通じるものがありました。
そもそも、生年が一つ違いで(土佐氏は私より1歳若いだけ)、学生時代よりアナログシンセ、デジタルシンセ、冨田勲、DTMとはまっていく過程は、もう私そっくり。物づくりにどこまでも没頭したりする感じもすごい共感できるし、ガチャコンというオブジェなど見ると世代的な共感もあります。
何より、シニカルでシュールな芸術センスは、クソ真面目な題目をクソ真面目にしか演奏できない日本人音楽家からは生まれない独特な世界観を表出しており、そういった表現方法を私もまた模索したいと思っています。

2007年1月15日月曜日

音取りと移動ド

以前より、移動ド論者である私は、そのメリットを訴え続けていたわけですが、実際、世の中そう単純じゃないのです。
移動ドを実践してくれる人もいるのだけど、うまくやらなければ手段と目的がこんがらがってしまいます。音を取るための移動ドなのに、(当然の帰結ではあるけど)移動ドで歌うことそのものが目的となってしまう場合があるのです。
だから、無理やり移動ドで歌おうとして苦労するくらいなら、口に出して歌わなくてもいいのに、と思うのだけど、口に出すからこそ覚えるという側面もあり、これは一概には言えません。

以前もこんなことを書いたように、現実には、どの調でも移動ド読みできて、各階名の音程関係がしっかり頭に刻み込まれていて初めて、そこにある楽譜を移動ド読みして楽に音取りできるようになるのです。
従って、今練習している曲を一生懸命移動ド読みしようとするより、もっと移動ド読みのための基礎練習をしなくてはいけないように思います。まあ、実際そんな暇はないんですけど。

2007年1月8日月曜日

新春散財

昨日、私と妻の二人分の携帯を買い替えました。
��年前に au に変えてから、私は4年間同じ携帯を使い続けていたのですが、何とな~く携帯を変えたくなって、二人ともども機種変更することに。
私が買ったのは、au のデザイン携帯の最新作「DRAPE」ってやつです。色は黒。
ここのところ、次に買うならスマートフォン(キーボードがある多機能型のヤツ)がいいなあ、と思っていたのです。さすがに昔買った Palm も時代遅れになったし、スケジュール管理とかきちんとしたかったので。しかし、au でなかなかスマートフォンが現れないし、今のスマートフォンもまだまだ使いにくそうだなあと二の足を踏んでいたとき、DRAPEのデザインを見て、これイイ!とか思ってしまったのでした。

指紋が目に付きやすいのがタマに傷ですが、流れるような美しいフォルムに満足です。
しかし、最近は携帯にたくさん機能があって、覚えるのが大変…

2007年1月7日日曜日

僕僕先生/仁木英之

Bokuboku第18回日本ファンタジーノベル大賞受賞作品。
帯にも書いてある通り、古き中国を舞台に、金持ちの息子であるニート青年が、美少女仙人と不思議な旅をする、というお話。
こういった大まかな設定だけ見ると、ラノベっぽく見えるけど、読んでみるとかなり本格派。中国史に生半可でない薀蓄が述べられるなど、いわゆるファンタジー小説での博学傾向をしっかり持っていて、ストーリー全体に重厚な響きを与えています。文章は決して固くは無いのだけど、歴史小説を読むような格調の高さがあります。

そういった中で、気弱なニート青年が仙人である少女に少しずつ恋心を覚えるようになる、というのがこの物語の大きな流れ。少女が圧倒的な力を持つ仙人であるにも関わらず、少女のようなしおらしい態度を取るようになっていく辺りに微妙な味わいがあります。
何でも出来てしまうスーパーマン的な力を持っている仙人が、人間的な世知辛い事情でやはり行動しなければならないナンセンスさもちょっと笑えます。

ただ、仙人は状況に応じていろいろな姿に形を変えられるのですが(老人にも変身するし)、少女であることもその一変形に過ぎないわけで、それだけでこの仙人を本当に少女だと感じる気持ちが萎えてしまったのも事実。そう思うと、若干後半の流れに無理があるようにも感じました。
全体的には渋澤龍彦の「高丘親王航海記」のような雰囲気があって、なかなか楽しめました。