2007年2月26日月曜日

千の風になって考

大ヒット曲となった「千の風になって」ですが、ひねくれモノの私は当初より、フォーク崩れのメロディを声楽家が歌った変な曲、と冷ややかな目で見ていたのです。
この週末、実家に帰って、母がいろんな人から「千の風になって」って素晴らしい曲だから一度聴いて、と言われたという話を聞きました。CDなんか扱い方も知らない母ですが、ぜひ聴きたいと言われ、CD屋に行って「千の風になって」のCDを購入。ラジカセで母に曲を聞かせてあげました。
そして、実際聞いてみると、なるほど、これはある意味スゴイ曲だということがわかってきました。

近親者、特に配偶者を亡くした人の悲しみというのは、やはり経験した人でなくてはわからないものなのだと思います。大切な人を亡くして、その人を供養したいという気持ちは、そのまま、その人がこの世でないどこかに存在していて、私たちが暮らしているのを見守っているのだ、という考え方に直結します。
だから、イタコとか霊媒師のような人々がどんな社会でも古来からいたのだし、そういう人たちを必要とする心境もわからないではありません。(ちょっと昔の映画で「ゴースト」の黒人女性霊媒師を思い出しますね~)
私の思うに、この「千の風になって」という曲、イタコや霊媒師を通して亡くなった人を感じたい、まさにそういう心理をそのまま具現化したような曲だと感じたわけです。
この曲を知らない人に簡単に紹介すると、この曲の詩は、死んでしまった人が今生きている人に対して「私はお墓の中にいるわけではなくて、風になっていつもあなたを見守っているんですよ」と語りかけている歌です。
この歌を、ポップスや演歌の歌手でなくて、声楽家的な声で歌っているというのがミソ。端正でいくぶん無表情なあの声楽的な声が、まさに天から届いてくるような神聖さを象徴させているのでしょう。

いやー、こりゃルール違反ですよ。大事な人を亡くした人がこの曲を聴いたら、そりゃ泣けてくるに決まってます(T_T)。まるで歌を通して、亡くなった人が自分に語りかけてくるような、そんな錯覚を感じてしまいます。そう考えると、日本中の悲しみに暮れる人々への霊媒師としての役割をこの曲は担っているわけです。
正直、この歌手が一発屋で終わってしまうのは避けられないこととは思いますが^^;、音楽の仕掛け方は実に巧妙なものだと感じ入ったのでした。えぇ、もちろん母も目頭を熱くしていましたとも。

2007年2月22日木曜日

平成風俗/椎名林檎×斎藤ネコ

Manners今日の朝日新聞の全面広告には驚きましたね。何か売り出し方も半端じゃない気合を感じる、椎名林檎の4年ぶりのソロアルバムなのです。発売日当日にCDゲットしてここに感想書く私もかなりの林檎オタクでございます。もちろん期待を裏切らない非常に内容の濃い音楽でした。
今回のポイントは
・アルバム中のほとんどが既存曲の再アレンジ。
・椎名林檎が映画「さくらん」の音楽担当をしたことによる、その副産物的アルバム。
・斎藤ネコ氏をアレンジの中心にすえ、全体的にオーケストラサウンドがメインとなっている。
といったところでしょうか。
ところが一聴したところ、オーケストラ中心だというイメージともまた違っているように感じました。正直言って、凝りすぎな部分もあり、軽く音楽を聞きたい人にはちょっと重過ぎるかもしれません。

例えば、「ハツコイ娼女」「花魁」の打ち込み系サウンドはかなり前衛的で、「ハツコイ・・・」のサビの部分など、前衛合唱曲のような歌唱の音節分解がされていたりします。
その一方でコテコテの4ビートジャズや、タンゴなどのラテン系編曲もあり、サウンド的にはよりどりみどりという感じ。ボーカルも、かなりドライだったり、リバーブ深めだったり、曲によって全く別の加工がされています。
個人的には自分の好きな曲「ポルターガイスト」のミキシングがちょっと気に入らなかった。せっかく弦楽合奏で録音したのに、モノラルのラジオ的サウンドにいじってしまったのが、ちょっともったいない気がするのです。

何しろ凝ってます。管弦楽奏者を集めて相当お金をかけて製作しているようだし、サウンド的な懲り方もかなりのものです。でも、ポップスなんて、このくらい凝っているほうが飽きがこなくていいのかも。
キュッと心を締め付ける切ない林檎節は健在。「夢のあと」も泣けますね。
何はともあれ、もう少し何度か聞き込んでみないと・・・

2007年2月19日月曜日

MIDIデータを地道にアップ2

ホームページで聴けるMIDIデータを増やそう運動中。
今回は、混声合唱曲集「はる なつ あき ふゆ」より一曲目の「はるよこい」と、詩集「食卓一期一会」より「ブドー酒の日々」の2曲です。
ちなみに、「はる なつ あき ふゆ」は日本の四季の風物をテーマにした18の短い詩に、それぞれ個性的な短い曲を付けてみようという試みの合唱曲集。どの曲も1~3ページ程度。なんと4小節しかない曲もあり。ただ、全18曲ということで、これもなかなか演奏の機会がありません。
友人や近場のグループで断片的に歌ったことがありますが、まとめて歌うと四季の移ろいを感じることが出来て、ステージとしても面白いと思います。矢川さんのやわらかで繊細な詩のセンスが、ありがちな季節の風物詩に陥らない不思議な異空間を作り出しています。

もう一つは長田弘氏の詩集「食卓一期一会」から詩を選んで、3年前にヴォア・ヴェールで初演した作品。
いずれも料理を題材にした面白い詩です。「絶望のスパゲッティ」「ユッケジャンの食べ方」は詩の内容がいずれも料理のレシピのようになっていて、曲が進むとだんだんと料理が出来ていくという趣向。
今回MIDIでアップしたのは「ブドー酒の日々」という、短めの落ち着いた感じの曲。しっとりと歌い上げると雰囲気が出ると思います。
これらの3曲は極力ディビジを廃しており、少人数の合唱団でも取り上げやすい曲になっています。

2007年2月18日日曜日

疑似科学

ちょっと前の納豆ダイエットから始まって、テレビ番組での科学の扱いが問題になっています。
いちおう理科系の端くれの私としては、以前よりこういったテレビ番組のあやしさは常々気になっていたのですが、それでもテレビに向かって「そんなわけないじゃん!」とか思っていても、意外と周りの人って番組の内容を素直に受け入れていて、逆に驚いたりもします。
特に腹が立つのは、占いとか心霊モノとかの類の番組。正直言って、私は心の底から全くそのようなものは信じないわけですが、何であんなもの、みんな信じるんですかね。どうせ、心霊ネタやるんだったら、もう少しまともな作り方にすれば良いのに(文学的、芸術的匂いを感じさせるとか)、どうしてこうも下世話になるのか不思議なくらいです。
科学的に考えればあり得ないとしか思えないのに、そんなことを言うこと自体がなんか野暮のような気がして、いつも心の中で留めておいています。

私の思うに、そういう番組を「こんなことってあるのね~」なんて見ている感覚こそが、疑似科学にだまされるような心理につながるような気がしています。
占い、心霊、疑似科学などには共通していることがあると思います。それはいずれも、その結論が個々人の人間の欲望とつながっているという点です。こうあって欲しい、こんなになったら嫌だな、こんな風に自分はなりたい……そういう人々の想いが、疑似科学を通じて現実となる可能性を示された途端、人々はよく検証もせずに無条件に信じたくなってしまうのです。
だから、こういうものに騙されない方法は意外と簡単なのです。
結論が直接自分の欲望を満たすようなものは、たいていアヤしいです(「痩せる」とか、「記憶力が良くなる」とか、「いつまでも元気でいられる」とか)。なぜなら、その命題が結論から先に作られている疑いがより増すからです。一つ一つ疑いの目で見るのも良くは無いように感じるかもしれません。でも、場合によっては経済的損失だってこうむる可能性があるのですから、もう少し私たちは賢くなるべきだと思うんですけどね。

2007年2月14日水曜日

よせばいいのに始めてしまったもの

新聞かなんかを見て、これ買ってみようかなあ、と家でつぶやいていたら、しばらくして「はい、プレゼント」と妻が買ってきて手渡してくれたのです。
それは何かというと、コレ
歴史とか、古代とか、考古学とか、そういうのって(そんなに詳しいわけではないが)好きなんです。この企画、そんな私の心をくすぐります。ロマンを感じますよねぇ。

しかし、問題なのは……このシリーズを買い続けるかってこと。ちなみに妻がプレゼントしてくれた創刊号は特別定価の290円。それ以降、毎週560円。ちなみに今のところ全100号の予定らしい……。しかし、一冊手に入れたからには揃えたくなるのが人情というもの。うぅ、悪魔のプレゼントじゃ!
さあ、もしあなたが古代の歴史に興味があるなら、来週以降(2年近く)買い続けますか。
結局私は、定期購読の申し込みをしてしまったのでした。

2007年2月12日月曜日

三連休に風邪で寝込む

金曜から体調が良くなくて、家に帰って体温を計ってみると、何と38℃の熱。こんなに熱が出るなんて最近では記憶にないくらい。土曜に医者に行ったら、どうやらインフルエンザではないとのこと。とりあえず普通の風邪薬をもらってきました。
しかし、結局この三連休、どこにも行かずに一人で家でぐったりしています。長文を書く気も起こらないので、今日はここまで。

2007年2月6日火曜日

静岡県アンコンに参加

たまには、演奏の報告など。
昨日、静岡県ヴォーカルアンサンブルコンテストに出場してきました。
静岡県の規定は6名~16名で、この最大人数がなかなか微妙なライン。ウチ(ヴォア・ヴェール)は最近20名弱の団員数になっているので、今回は男声と女声と分かれて参加。ちなみに団体名は、女声が「ヴォア・ジョーヌ」男声が「ヴォア・ブルー」です。練習は昨年暮れから、男女で分かれて行いました。男声はそのままではちょっとテナーが弱いので、数名助っ人を呼んで補強^^;。

ちなみに私はヴォア・ブルーの指揮をしました。曲はコダーイの「A CSIKO」と、昨年の課題曲「小夜の中山」。
一ヵ月半くらいの練習だから決して少なかったわけじゃないけど、なかなか全員揃わなかったりで、バランスなどもう少しつめたかったのが率直な印象。この辺が少人数合唱の難しさでもあるのですが、それはある意味、どの団でも同じなんでしょうね。
結果は女声、男声ともに銀賞でした。いい感じまで仕上がったとは思ったのですが、それ以上に上手い団体が多かった。
最後の2回の練習では男声、女声で聞きあってダメ出しをしましたが、同じ団内で聞きあうという経験はあまりないんで、結構刺激になったんじゃないかな。

2007年2月2日金曜日

失われた町/三崎亜記

Machiとなり町戦争」でデビュー&いきなり大ヒット&映画化、で一躍有名になった三崎亜記の長編第二弾を読みました。
やっぱり町か、と何となくネタの近さが気になりつつも、読んでみると、こりゃ思いっきりSFですね。30年に一度、町の消滅が起こる、という奇想天外な設定は、確かに前回の「戦争事業」という奇抜さに近いかもしれないけど、戦争が社会系に向かうのに対し、「町の消滅」は科学系に向かいます。
正直、私はSFに対してアンビバレンツな感情を持っており、大好きな小説もある反面、だからSFってやだなあ、と思うこともあったりします。今回はというと、非常に上質なSFで、私の中のSFのやなところが無いのがとても良かった、というのが率直な感想。
全体は、7つの章から構成され、それぞれが独立した小さなストーリーとなっています。したがって、物語としては一つなぎに連続に進んでいくわけではありません。
登場人物は限られているのですが、各章ごとに主人公が異なっていて、通して読むと、同じ人物が主人公になったり脇役になったりして、ちょっと違和感は感じました。ストーリーも全体としての起伏がないので、一般的な小説の読後の爽快感を感じるのは難しいでしょう。そういう意味で、決してこの本、万人受けしないと思います。

何が面白いって、この世界観の半端じゃないフィクション性。「月ヶ瀬町」といった地名が出るのに、舞台が「日本」であるとは決して書かれない。つまり、この地球上の話ではない、というくらい丹念に現実とのつながりを避けています。まるで、同時に文化が発展している別次元のパラレルワールドを描いているかのごとくです。
だから、この世界で聞かれる音楽や風俗も全て架空のもの。そういうのに徹底的にこだわり、架空の用語を造語していくセンスがまた鋭い。
もちろん、30年に一度町が消失する、というあり得ない設定を、小説内であたかも常識であるように書くためには、このような徹底的なフィクション化が必要だったということなのでしょう。こういうディテールの細かさには共感します。
ただ、過度なフィクションは読む者を困らせます。一つ一つが全くわけのわからない単語で、読み進めるのに難儀する場合もありました。このあたりは賛否のわかれるところかもしれません。