2007年3月31日土曜日

金と芸術~なぜアーティストは貧乏なのか?

Whyartistspoorとても分厚い本を、一月かけてようやく読了。
どうしても翻訳モノは素直に頭に入ってこなくて読むのに疲れますが、内容はとても面白かったです。「金と芸術」というのは邦題であって、原題は訳すと「なぜアーティストは貧乏なのか?芸術という例外的経済」となります。
要するに、現代における芸術活動全般に関して、経済的な観点を中心に分析をしていく、というのが本書のスタイル。
欧米の社会環境中心の話なので、日本では当てはまらないような描写も多々あるし(特に政府や公機関と芸術の関係とか)、いささか話がくどくて若干論旨の展開に無駄があるような気もします。
そういう難点は感じつつも、芸術をめぐる社会や経済の動きは、基本的にどの国でも、どんな人でも変わらないんだなあということを実感。

著者は、まず芸術は神聖なものであり、自律的で表現の自由がある、と人々が考えていることの総体が神話化されている、と言います。そのような傾向を持つ芸術に対して、あからさまな市場経済を適用することに多くの人が抵抗を持つわけです。しかし、それは結果的に非常にいびつな独特の経済を生み出すことになるのです。
また、芸術家になりたがる人々の傾向、そしてそれゆえに貧乏にならざるを得ない彼らの生活について言及します。世の芸術家のうちのほとんどは全く認められないまま活動を続けます。なぜなら芸術に身を捧げるということが彼らにとって人生を懸けても良いくらい、崇高な使命だと感じているからです。しかし、それは経済的な観点からみれば単に搾取されているだけで、経済理論を無視した特殊な行動にも取られてしまいます。

内容は盛りだくさんなので書き出すときりがないのだけど、芸術をめぐって世の中がどのように動いているのか、そういうことを客観的に知ることは芸術に従事するものにとって役に立つことだと思います。そういうことに興味がある方はおススメ。
クリエータたるもの、もっと狡猾であらねばならないと思う私にとって、ためになる一冊でした。

2007年3月30日金曜日

クラシックにおける規格化

ちょっと別の視点でクラシック音楽を語ってみましょう。
クラシックと聞いて思い浮かべる編成はなんでしょうか?やはりオーケストラ?それとも室内楽、それともピアノ?まあ、一般的にはオーケストラということだと思いますが、一口にオーケストラと言ってもいろいろな編成があります。一晩のコンサートでモーツァルトとマーラーを演奏すれば、あまりの演奏者の違いに驚きます。
この演奏者の数の違いって、冷静に考えるとオーケストラ泣かせな事態ではないでしょうか。一晩の演奏会でも降り番の人がいたり、エキストラがいたり、人のやりくりが大変。練習日程の組み方も難しくなるはずです。ちゃんとどの日にどの曲を練習するか決めないと、無駄に待ち時間を過ごす人も出てくるでしょう。

オーケストラが一つの団体として存続を続けるためには、そもそもオーケストラが必要とすべき楽器が決まっていなければなりません。実際には、弦楽器、木管、金管、そして打楽器の奏者1セットが揃っていれば、オーケストラとして成り立つわけで、つまりそういう編成がオーケストラ音楽の標準規格と言えるでしょう。
こういった編成の規格化があるからこそ、オーケストラという団体が成り立っているとも言えるわけで、好き勝手な編成で曲を書いたとしても、やってくれる団体が存在しなければ意味がありません。

ところが、実際には新しい音楽を作りたい人は、いろいろな新しい編成まで考えていきます。最近はテレビ、映画でもオーケストラ+ドラム+エレキベースといったポピュラー的リズム隊を足した音楽が増えてきたように思います(もっともその場合、生のオーケストラを使っていない可能性もありますが)。ポピュラー音楽が世の大半である現在、いわゆる生楽器はむしろバンド的編成の中に取り込まれていく、という流れのほうが自然なのかもしれません。
残念ながら、オーケストラが今の編成で存続しようとする限り、新しい音楽を演奏することは難しくなりそうです。そうなると、やはり18,19世紀の音楽をレパートリーにし続けるしか無くなってしまうのです。

2007年3月27日火曜日

クラシックは素晴らしいけど

音楽理論の多くがクラシック音楽から発祥しているのは確かな事実。そういう意味で、クラシック音楽は学術的にも、芸術としても非常に価値が高いものです。
しかし、その一方、芸術というのは常に時代を反映するものであり、世の中をどのように切り取って提示するのか、ということがその本質だと思うのです。同時代性を抜きにして創作活動は語れません。
小説も映画も演劇も、そして美術も舞踏も、全て今を意識しながら新しいものが生まれ続けているはずです。例えば、何百年も前に書かれた小説を読んで感動することは可能だし、そこから得られるものは多いのだけど、小説はそれだけではなく、今現在、新しい価値観や視点を我々に提示しようと、今を生きる小説家たちは日夜頑張っています。
時代が芸術を生む一方で、芸術が時代のマインドを生んでいく、その連鎖が文化を形作っていきます。
要するに、時代はどんどん変わっていくのです。その先端に居たいと思うか、その流れに背を向けようとするかは、それぞれ個人の趣味の問題ではあるのだけど、私には一般的にクラシック音楽ファンというのが、やや後ろ向きな人々に感じられてしまったりします。
クラシック音楽の芸術的価値に疑問をはさむつもりはないのです。数世紀を超えて残った音楽はやはり素晴らしい。だからこそ、その素晴らしさを理解したうえで、今の時代に合うものが生み出されるべきでしょう。

2007年3月23日金曜日

クラシックを聴かない

今、結構面白い本を読んでいます。読了後、またご紹介しますが、芸術全般にまつわる経済論のような内容。
それに直接関連しているわけではないけど、クラシック音楽というのは、実際に音楽市場として成り立っているのでしょうか。まあ、そのように乱暴にクラシックをひとまとめにするのも野暮なんでしょうが、世の中一般的に、クラシック音楽を好んで聴いている人がそれほどたくさんいるとは思えません。

恐らく、クラシックを好んで聴いている人は確実に年々減っているのだと思うのです。
そして、その理由は何かと問われれば、あられもない言葉で言うのなら、つまらない、からではないでしょうか。あ~言ってしまった。
私とて、非クラシック系音楽を聴くほうが最近は多いです。自分自身がどうしてそうなのかと問われれば、非クラシック系にたくさんの面白い音楽やアーティストがいるからであり、自分が感動や刺激を受けることが多いからです。もちろん、感動の量や質を問うことは難しいです。しかし、私から見れば、クラシックは全般的に、保守的で予定調和的であり過ぎます。そもそも、現代に作られた音楽を演奏していないことが根本的におかしい。

もちろん、クラシック音楽の中に非常に高いレベルの音楽性を発揮し、それをきっちりと演奏する素晴らしい演奏者がたくさんいるのは確かです。私もたくさんの好きな作曲家はいるし、たまには演奏会にも足を運びます。しかし、本当に私が求めているのは、クラシックでは感じられないような、もっともっと狂おしいほどの革新なのかもしれません。
こういったメタな話、しばらく書いてみようと思います。

2007年3月17日土曜日

今年の課題曲集

全日本合唱コンクールの課題曲集である、合唱名曲シリーズ36がすでに全国各地に届いているようです。
今年は、「だるまさんがころんだ」に続いて、拙作が課題曲に選ばれて今からワクワクしているのですが、その一方で今回自分の曲を選んでくれるか心配もしていたりします。
だって、詩がないし、分かり易いメロディもないし、一般的には変な曲ってふうに思われているでしょうから。曲自体の説明は、ハーモニーの記事にも書いたのでそちらを見ていただくとしても、なかなか理解されない危惧を抱いているわけです。
今年はG3の池辺晋一郎の曲もかなりエキセントリックで、混声のしっとりした日本語の合唱曲がなく、すでに各方面から非難の声が・・・。といっても私のせいじゃないからね。個人的には "U" でなくて、"A" のほうが課題曲に合っていると思ったんですが、決められたものは仕方ありません。
しかし、G3の「鼻」だって、その面白さを掘り下げて徹底的に演じきれば、素晴らしいエンターテインメントになると思います。一般的には合唱団員はこういう曲を嫌いますが、そういうチャレンジもアマチュア合唱団にはして欲しいとも思います。人を楽しませてこその演奏なのですから。

本当は作曲家の出来ることなんて限られているのです。本来、難曲をこなすことが演奏の凄さなのでなく、演奏者が身体の中から何かを表現しようとしていることが大事なのです。私としては、池辺氏のG3も、私のG4もそういった表現の可能性を持った音楽だと思うし、むしろ、演奏家の中の表現力をこそ問うような音楽なのだと思います。
正解のある表現なんて面白くないじゃないですか。

さてここから重要情報
G4の 「"U":孤独の迷宮」 の楽譜に間違いがあります。
��1小節のアルトの一拍目、上の声部は F にカッコつきのナチュラルとなっていますが、これは Fis の間違い。音符に#を付けてください。
この件、ハーモニーにも掲載されるはずですが、まずは取り急ぎお知らせいたします。

2007年3月12日月曜日

ヘルシンキに行ってきました

会社の5年に一度に取れる連続休暇を利用して、今回はフィンランドの首都、ヘルシンキに行ってきました。
ちなみに5年前の話題はここ
五日間ずっとヘルシンキに滞在して、トラム(路面電車)を乗りまくりながら、いろいろなところに行きました。まあ、はっきり言って今回の旅行の主目的は妻のショッピングなので、旅行日程はほとんど妻が考えたのですが。
ショッピング以外のことをトピックに分けてご紹介。
●ヘルシンキの気候
もちろん、北欧だから寒いです。ただ、防寒対策はかなり準備していったおかげか、あまり寒さは感じなかったのが正直なところ。気温はだいたい0℃前後でした。天候はほとんど曇りか、ちょい雪(ちょっと雨)。
そもそも北欧の雰囲気を堪能するなら、厳寒の冬か、日の長い夏にすべきなんでしょうが、そういう意味では中途半端な時期の観光でした。まあ、自然を堪能する目的でなかったので、どうでもいいんですけど。
●博物館と美術館巡り
ずっとヘルシンキにいたので、博物館や美術館にも行きまくり。
行ったのは、国立博物館、デザイン美術館、スオメンリンナ博物館、郵便博物館、国立現代美術館キアズマ、アテネウム美術館、の6つ。デザイン美術館はなぜかF1の特別展で、F1のレースカーが展示されてました。あと、キアズマ、アテネウム美術館で現代美術を堪能。オブジェとか、パフォーマンスを上映していたりとか、アバンギャルドな芸術もたくさんあって、何というかヨーロッパの前衛芸術に対する寛容さをちょっと感じたり。
●クラシックコンサート
当日券で、国立オペラハウスでやっていたチャイコフスキー「スペードの女王」を鑑賞。時差で眠くて、第2,3幕ではところどころ気を失ってました。正直、主人公の歌手の風体がいまいちだし、現代的な演出にも共感は覚えませんでした。最後のアカペラ男声合唱の音程がちょっと酷くて、全体的にう~んという感じ。
テンペリアウキオ教会での、フィンランド放送交響楽団の演奏会にも行きました。こちらは事前に日本でチケットを購入。これは大変面白かった。特に最終ステージのストラヴィンスキー「プルチネルラ」が面白い曲でした。指揮者は徹底的に音楽のキレを重視していて、残響の多い教会の中で、もやもやしない音像を実現していたと思います。ああいう固めの音楽作りって日本ではあまり聞かれなくって、個人的には大変気に入りました。

ヘルシンキは大都会というわけでもなくて、日本で言えば、広島とか仙台くらいの感じの大きさでしょうか。いろいろ見て回るのもちょうど良いくらいの広さ。どこにも英語の案内があるし、ほとんどの人が英語を理解するので、そういう意味でも安心(自分の英語力を棚においても)。恐らく日本よりも安全で、気楽に観光するにはなかなか良い場所だと思いました。

2007年3月6日火曜日

パフューム

異常に嗅覚が強い男がその能力を駆使し香水作りを始め、そしてついに恐ろしい犯罪に手を染めてしまうという話。舞台は18世紀のパリ。その男は、究極の香水作りのために、若い女性の香りを探し求めます。そしてついに連続女性殺人を犯してしまうのです。最後にその男の処刑のシーンがあるのですが・・・それが問題のシーンとなって話題になっています。
そもそも、このストーリー、スピルバーグ、リドリー・スコット等の有名映画監督が映画化を考えて原作者にオファーをしたという逸話つき。結局はそういったビッグネームでない監督による映画化となったようですが。

映画自体は、最初のほうでナレーション付きなのが時代物がかっていていまいちだと感じたのですが、後半、連続殺人になって街中が恐怖に震えるあたりからどんどん引き込まれます。
そして圧巻なのがラストシーン。簡単に言えば、数百人の壮大な乱交エッチシーン。まあ、人によってはかなり引いたようですが、なんというか、一種のファンタジーなんですね。香りが人々を恍惚にさせるということを、もっとも極端な方法で表現したというのか・・・。この映像を撮ったというだけで、監督は本望だったのではとも思えてしまいます。
主人公は目的のために手段を選ばない、冷徹な恐ろしさを秘めています。それが映画全体の気味悪さをかもし出していて、そのためになんとなくこの映画を見終わったあと、居心地の悪さを感じる人も多いかもしれません。
でも、こういったある種の悪趣味さ、グロさ、変態っぽさ、というのはすごくヨーロピアンな感じがするし、そういう中に究極の美を見出そうとする感覚には、どこか共感を覚えたりもするのです。

ラトル指揮・ベルリンフィルの音楽も巷では評判になっているようです。なかなか静謐で物悲しい感じで、きれいな音楽だと思いました。

2007年3月4日日曜日

さくらん

蜷川実花初監督の吉原の遊女を描いた映画「さくらん」を観てきました。もちろん、見るきっかけというのは、椎名林檎が映画音楽を担当したから、ということなので、正直映画そのものには期待してなかったのです。
だいたい、吉原の遊女の哀しみ、といった内容の映画など、恐らく私は通常見に行ったりしないような題材です。もちろん、ふか~い世界はあるのでしょうが・・・、嘘と嫉妬のうずまく人間模様ってのは、どちらかというと苦手な領域。
実際、この映画も基本的にはそういうお話なんですが、意外と良く出来たいい映画だと感じました。

原作はマンガだそうで、もちろん読んだことはないのですが、恐らく原作の質もいいのでしょう。気の利いたセリフや、人物描写のリアルさもなかなか。それに私が日本映画で一番弱いと思う脚本も、論理的整合性や小ネタの接続に感心するところが多かったです。例えば、ヤシロの桜の花のエピソードとか、髪飾りを渡すシーンとか。
あと、美術的にも絢爛な映画世界を良く表現していたと思います。その中でも面白いのは、金魚のモチーフ。映画を通じて、金魚が至るところで現れます。圧巻なのは、吉原の入り口に巨大水槽があって、そこに金魚が飼われているところ。映像における主題の扱い、というのもうまいと感じました。
役者もがんばってます。かなりきわどいシーンもあって、話題になっています。はっきり言ってエッチシーンは多いです。ただ、それもセクシーとかじゃなくて、ひたすら女性視点であるという点が面白いのでしょう。

音楽は、事前情報以上のものではなかったけど、映画の雰囲気と林檎世界がばっちりはまっていたことは確か。若い女性の観客が多かったので、きっと林檎ファンが映画を見に行く、という宣伝効果もあったんでしょうねぇ。

2007年3月3日土曜日

Time Control/上原ひろみ

Timecontrol昨年のコンサートで大感激した上原ひろみのニューアルバム、もちろん買わないわけにはまいりません。
今回は「時間」をキーワードにした、一種のコンセプチュアルなアルバムです。また、これまでトリオ編成でしたが、今回はギターが加わり4人編成。
全体的にはギターが加わったことにより、サウンドがよりロック化してきました。曲全体もよりプログレ感が増し、なかなかいい感じです。「時間」というテーマ性のせいか、シンプルで分かり易い楽曲がむしろ減る方向になり、トータルとしてはマニアック度が高まっているように感じます。
ギター参加でロック化と言っても、やはりメインはピアノ&キーボードであり、いわゆるロックバンド的なサウンドとは全く違います。この手の音楽は基本的に一発録音らしく、ヘッドフォンで聴くとアンサンブルの息遣いが感じられてなかなかいい感じ。

ただ、プログレ化は大好きな方向性なのだけど、逆に言うとアルバム全体にちょっとメリハリが無いような気がしました。凝っているのだけど、全体が一本調子みたいな。ところどころ、以前の楽曲のエコーなども聞こえます。できれば、もっと曲調のバリエーションが増えるといいなあ、と感じました。
まあ、それでもCDで聞く印象と、ライブではまた違うと思います。ライブだと、さらにワイルドに、アグレッシブになるのかもしれません。機会があればコンサートはまた行きたいですね。