2008年2月27日水曜日

PD合唱曲追加

PD合唱曲シリーズに曲を追加。
「この月は君来まさむと」という曲です。今回もテキストは万葉集。詠み人知らずですが、いわゆる防人(さきもり)の歌です。
「あなたが帰ってくるのを待っていたのに、死んでしまったと告げられた。激しく嘆き悲しみ、そして死にたいと思って彷徨うけれど、まだ一人であなたを思って泣いている・・・」といった内容。

叙情性と、激しい表現の両方の側面を持っていて、全体的にはちょっと重い感じかもしれません。
ただし、今回は完全にディビジョンを無くしたので、少人数でも取り上げやすいと思います。古典とはいえ、古臭い雰囲気ではなくて、コンテンポラリーな感じにしてみたつもりですが、いかがでしょうか。

2008年2月24日日曜日

音符の力と音響の力

作曲技術には、二つの側面があるように思います。
「音符を配置する」技術と、「音響を作る」技術です。今の時代、両方とも作曲家が取り扱うべき仕事でもあるのですが、やはり作曲家によって、音符寄りの人と、音響寄りの人、など方向性の違いはあるような気がします。

音符を配置する技術は、例えば和声学のような学問が扱うことですが、リズム的な時間軸の要素もあります。アウトプットはあくまで楽譜であり、それ以上のことには無関心です。こういった技術の究極は、楽器を限定しなくても音楽として成り立つことであり、例えばバッハの「フーガの技法」といった作品などが、その究極の形として挙げられるかもしれません。

音響を作る技術は、例えば管弦楽法で代表されるような技術です。音そのものを重要視するので、楽譜だけでなく、楽器や奏法の指定、演奏する環境、そして録音に至るまで、幅広いことがらが検討すべき内容に入ってきます。
ところが、この音響の世界に入り込むと、自由に音が作れるシンセサイザーとか、複数の音を混ぜ合わせるミキサーとか、音響調整をするためのイコライザー、コンプレッサーとか、そういう技術的(機材的)な要素が最近では増えてきていて、今の時代、作曲家が扱うべき知識の世界が益々広がっていっています。

現代音楽系作曲家でも、音響指向の作曲家も多いです。
先日聴いた西村朗氏など、かなり音響系の作品だと感じました。それも電気技術を使わずに、ヘンテコな打楽器の使い方で変わった音を出すという、アナログちっくな音響系。
正直言って、聴衆の立場から言えば、作曲家が考えた音を直接聞かせられるという意味で、音響系の人が評価され易い傾向があるように思います。演奏効果も当然高いでしょうから。
ただ、今の時代、オーケストラ音楽だって打ち込みで出来るのですから、録音前提ならもはや音響系は何でもアリだし、その中でクリエイティヴであり続けるのはかなり大変なことかもしれませんね。

私自身は、どちらかというと音符系の作曲家のほうが好きかもしれません。バッハとかラヴェルとか、日本人なら三善晃あたりが音符系でしょうか。いや異論はありそうですけど。
もちろん、音響系の曲を書きたくないわけじゃありません。去年の課題曲の"U"なんて、思い切り音響系だし。でも、心のどこかで本当の音ではなくて、音符だけの力で音楽を制御し続けたいという、作曲家の本性のようなものがうずいていたりします。

2008年2月19日火曜日

バンド維新

浜松アクトシティ中ホールで開催された「バンド維新」という吹奏楽のイベントを見に行きました。
このイベントの詳しい内容はここ
これは、正直言って非常に面白いコンサートでした。8人の超メジャーな作曲家が、吹奏楽の新作を発表するのです。
メンツがすごい。木下牧子、一柳慧、小六禮次郎、三枝成彰、丸山和範、服部克久、西村朗、北爪道夫の8人。昨日のコンサートも三枝成彰を除いて、全員勢ぞろい。しかも演奏前に各作曲家へのインタビューもあって、それがまた各人各様。服部克久なんて、テレビでしか見たことない芸能人って感じだったので、まさかこんなところで生で見れるとは思いませんでした。

曲がまたバラエティに富んでいます。現代音楽から、アニメ音楽まで、様々なタイプの曲が演奏されました。
私としては、一線で活躍する各作曲家が、日頃どんな曲を書いているのかとか、こういう依頼を受けたらどんな曲を書くのかとか、吹奏楽というジャンルにどう向き合うのかとか、そういうことに対するスタンスの違いを感じることが出来たのが最も面白かった点です。

演奏としては西村朗氏の作品が圧巻だったわけですが(素晴らしい演奏!)、私としては、どんな依頼があっても全く手加減せず自分の世界に持ち込んでしまう氏のスタンスには、やや苦笑いという感じ。
木下牧子作品は、芸術作品としての音楽の懲り方とエンターテインメント的な要素を良く織り交ぜた佳曲。むしろ教育的配慮があり過ぎ?もっと個性的でもよいかも。
小六、三枝、服部各氏はテレビ・映画音楽の焼き直し。でも、それぞれ味があって良かったし、結果的には演奏会のレパートリーとして取り上げられるような気がします。
一柳、丸山、北爪各氏の曲は、すいません。あまり、私的にはパッとしませんでした。

このイベントを通して、吹奏楽で一つ気になることがあるのです。
そもそも、今回の企画は、少人数アンサンブル的な曲を作って欲しい、という依頼だったのですが、それでもたくさんの打楽器がドンシャカ鳴っていて、どうも音楽的にしっくりしない感じがありました。
場合によっては、全く管楽器のアンサンブルと遊離しているような演奏もあるように私には思えました。
かのリムスキー・コルサコフも管弦楽法の中で、打楽器をあまり多用しないよう言ったとか言わなかったとか。

2008年2月16日土曜日

合唱名曲選:鳥の歌

承前、思いがけず県のアンコングランプリを取ってしまったわけですが、曲の力も大きかったなあ、とあらためて思います。というわけで、アンコンで歌ったジャヌカン「鳥の歌」の面白さの秘密を考えてみましょう。

何といっても、鳥の鳴き声を歌で真似てしまおう、というのが、この曲のアイデアの大元にあるのは誰もが認めるところ。
しかし私の思うに、この曲の本当に素晴らしいところは、そのアイデアをいかに強調し、面白おかしく聞かせるかというその工夫にあるのではと思われます。そして、それはこの曲の構造に負うところが非常に大きいと思うのです。

では、この曲の構造について考えてみましょう。
曲中の終止を区切りとすると、曲全体は5つのセクションに分かれます。これを仮に、Sec.1~5 という形で呼ぶことにしましょう。
また、最初のセクションを除いた Sec.2~5 のそれぞれの構造は大まかに [A]-[B]-[C] と三つのブロック構成になります。ここで、各ブロックは
[A] - ベースから始まる主題
[B] - 鳥の鳴き声
[C] - 曲の中心主題
を表しています。
Sec.2~5 を通して、[A],[C] はほぼ同じ形(Sec.5のみ最後の[C]に一ひねりあり)、そして中間ブロックの[B]がセクションごとに違っています。

ここで一つ面白いことは、曲の冒頭、Sec.1 は [C] と同じであるということ。
単純に繰り返し構造を作るなら、[A]-[B]-[C] の構造を最初から始めようと考えるのではないでしょうか。ところが、冒頭が [C] であることによって、この主題が曲の中心であることが示され、[A] の主題が相対的に低い位置に感じられるようになります。そのため、その後同じ構造が繰り返されているにもかかわらず、有節歌曲的な雰囲気ではなくなり、繰り返しの頭である[A]の主題が出ても、曲の途中感がもたらされます。結果的に、曲全体の一体感が増していくのです。

もう一つ、[C]が中心主題であると感じることにより [B]-[C] の変化におけるカタルシスがより強固になります。「鳥の鳴き声」の喧騒が高まり、その緊迫感が増したところで、主題[C]が出現することに大きな快感を感じるというわけです。交響曲のソナタ形式等で、展開部が盛り上がったところで第一主題の再現部が始まるときの快感に近いものがありますね。

[B]のバリエーションもなかなか工夫されているように思います。[B]の長さを小節数で見てみると、Sec.2-10、Sec.3-18、Sec.4-30、Sec.5-16 となります。
長さ、及び喧騒の強さ、派手さという意味で、Sec.4 の鳴き声がこの曲の頂点となります。まさに「起承転結」を地で行く構造と言えるのではないでしょうか。
鳥の鳴き声にバリエーションを持たせる一方で、[A]、[C]の主題はほとんど無変形であることも、この曲の構造を分かりやすくさせていて、聴く側のテンションをうまく持続させているようにも思えます。

もちろん、ルネサンス期の音楽ですから、文化的なバックボーンや、当時の常識、という視点も必要なのでしょうが、現代の人々が聴いても楽しく感じられる普遍的な仕組みがこの曲には備わっているに違いありません。

2008年2月12日火曜日

歓喜の歌

噂の合唱映画です。
とはいえ、主役はどうも音楽や合唱ではなくて、どちらかというと典型的な市井の人々の人情物語ともいうべき映画。
原作は落語なんだそうです。確かにこの映画を貫いている価値観は落語のそれ、なのだと思います。笑いあり、涙あり、最後はみんながそれぞれに幸せになって終わるという、まあ最初からストーリーはわかりきってはいるものの、やはり日本人としてはこういう話が安心して観られます。

もともとこの話のテーマは、いわゆるお役所仕事、と言われるような融通の利かない、公務員の仕事を皮肉ったもの。市民ホールに勤める小林薫扮する主人公のテキトーな仕事ぶりが、かなり笑えます。外国人ホステスにお金をつぎ込んで問題を起こし、左遷されたという設定など、なかなかブラックな時事ネタ。
それにしても、時間だからといって、カラオケしているオジサンたちの機材の電源をバチッと切ってしまう、ってのはなかなかすごいですね。そんなことしたら、すごい雰囲気悪くなりそう。
ちなみに、私たちが使っている公民館は、最近、業者に委託されるようになって、逆に融通が利かなくなってしまっているような気がするのだけど。

まあそんな映画なので、音楽の内容に突っ込むのは野暮です。
ママさんコーラス(女声合唱)が第九を演奏会でやるのも、まあ驚きですが、ソロを歌う人がとても上手いとか(あれだけ上手いのに、謙遜していると逆にやな感じ)、第九のドイツ語が妙に訓練されていたりとか、いや全般的には普通のママさんにしては演奏が立派過ぎるのがややリアリティがないなと、思ったりしました。
映画だからしょうがないけど、演奏会に来てくれたお客さんがみんな歌に感動して喜んで帰ったりしている辺り、なんか現実が見えてないような気がして・・・、いやここで言うのが野暮なのはわかってますけど。

2008年2月7日木曜日

福島に行くことになった

昨年の演奏会の勢いで、常時20名を超える団員になったウチの団。
今年も静岡県のアンサンブルコンテストに参加したのですが、16人の規定を超えてしまうので、昨年同様2団体で出場しました。
昨年は男声と女声で出ましたが、今年は年寄りと若者、というとんでもない分け方。ちなみに団名は、年寄組がそのままヴァア・ヴェール、若者組はプチ・ヴェール。双方とも知り合いを引っ張ってきて、助っ人を呼んだ結果、プチなんか半分近く非団員になってましたが。

さてさて、正直なところ今回は全く結果に期待しておらず、グランプリになると今年から始まる全国大会に出られる、という特典もほとんど気にせずにいたのですが・・・なんと結果は、ヴォア・ヴェールがまさかのグランプリ。静岡一般の代表で全国大会に出ることになってしまいました。
うーん、ほんとにいいんだろうか、とは思いつつも、今回はいろんなことが良いほうに良いほうに向かっていたのは確かですね。
他の強豪が軒並み和音の精度が要求される静謐な音楽だったのに対し、我々は曲も「鳥の歌」だし、パワーとノリで押し切るタイプの演奏だったと思います。それがアンコン的な各人の自発性とか、アンサンブルのスリリングさとか、そういうものを知らず知らずのうちに強調していたのでしょう。

もちろん、決まったからには福島では良い演奏をしたいと思います。今回ヴォア・ヴェールは結成以来、初の県外遠征となります。
全国大会が第一回ということですが、どんな団体が出てくるのかも興味あるし、いろいろな演奏を聴いたりできるのもちょっと楽しみ。

2008年2月2日土曜日

Duet/チック・コリア & 上原ひろみ

Duet上原ひろみのファンとしては、このCD、もちろん買わないわけにはまいりません。
そして、何と今回のCDは、ジャズ界の大御所チック・コリアとの二人のみのピアノ演奏。昨年の東京でのライブの様子を収めたものです。パッケージはCD2枚組み+DVD(2曲のみ)という豪華な内容。

もっとも、私は日頃ジャズをよく聞いてウンチクを語るような者でもないし、そもそもチック・コリアのCDさえ持ってないんですねぇ。(と書いて、CD棚を見回してみたけど、やっぱり無さそう)
でも、やっぱりよろしいです、この音楽。曲もチックの曲、上原ひろみの曲、スタンダード(ビートルズ、ガーシュイン)などバラエティに富んでいます。
ピアノの音だけしかないので、ちょっと飽きるかと思ったけど、上記の通り曲調が多彩なのと、内部奏法を使ったりするなど音色やテクニックもまた多彩で、その表現の幅の広さに圧倒されます。
ただ、何しろ二人ともピアノなので、どっちの音をどっちが弾いているのか、軽く聴いただけでは良く分かりません。
そこで、おまけのDVDの登場。
二曲だけですが、ライブの空気感が良く伝わってきて、これがまたとても良かった。ジャズというとやはりライブ音源が多いと思うのだけど、今後はもっとDVDを出して欲しいものです。(ただ、若干ピアノ手元のアングルが画質に問題あり。カメラのせいかなあ)

映像を見ていると、この二人が弾いている、というのは本当に絵になると思うのです。
かたやジャズ界の大御所、貫禄と余裕を感じさせる初老(?)の男性、そしてもう片方は、若手実力派、アグレッシブさとパフォーマンスも売り物の元気少女(?)。この対照的な二人の取り合わせは、しかし、ジャズという語法の上で、きっちりと対等に語り合っている、これがこのCDの一つの醍醐味だと思います。