2010年3月31日水曜日

14.楽器による音色の違い

ここまでずっと音程の話をしてきました。
ちなみにピッチ、音程、音の高さ、という言葉の違いは何でしょう。文脈によって意味が微妙に変わることも多いのですが、私の思うに明確な答えはないと思います。実際には、特に断りがなければ、三つとも同じ意味と考えてよいでしょう。

ところで、同じピッチでも楽器によって音のイメージが違うと感じるのはなぜでしょうか?
物理では音の三要素として、音の高さ、音の大きさ、音色の三つが挙げられます。同じ音の高さでも音が違って聞こえるのは、「音色が違うから」というのが一般的な答えです。
「一般的」などと断りを入れるのは、実際の楽器による音の違いは、音量の時間変化とか、ビブラートによるピッチや音色の変化とか、音程と音程の繋がれ方とか、音程に依存した音色の変化とか、様々な要素があるからです。専門的に音を扱おうと思うほど、一言で断言するのは難しくなります。

そのような細かいことはとりあえず置いといて、ここでは「音色の違い」ということについて考えてみましょう。そもそも音色が違うというのは、物理的に何を意味しているのでしょうか。
同じ周波数でも音色が違う、という状態を波形で描いてみましょう。



赤、青、緑のいずれの波形も周期(周波数)は同じですが、波形の形が違います。緑の波形は相当ガタガタして見えますが、よく見ると同じ周期になっているのがわかります。ざっくり言ってしまえば、この形が音色の違いとなって現れます。
音の状況を調べるために、このように波形で視覚化するとある程度分かり易くなります。最近のレコーディングでは、コンピュータ上で波形をそのまま表示ようになっており、音楽家といえども、音を波形で見ることに慣れておいたほうが良いかもしれません。
また、今後の説明でも音の状況を表現するため、音を波形という形で視覚化していきますので、ご了承ください。

2010年3月28日日曜日

1984年/ジョージ・オーウェル

1984強烈な幻想的ディストピア小説。政治色が強く、未来の独裁的な共産主義国家での出来事を描いています。とはいえ、これが書かれたのは第二次大戦直後くらいなので、当時からしたら1984年は未来のことであり、当時の近未来小説として読まれるべきでしょう。
正直、こういう救いのないダークファンタジーは大好きです。久しぶりに面白い小説を読みました。この作者の破天荒な想像力を堪能するだけでも、この作品を読む価値はあるでしょう。

一般に、この作品は共産主義に対する批判や、辛らつな風刺として読まれていると思うのですが……、恐らく著者が言いたい本質は、単なる共産主義批判ではないと私には思われます。
だいたい、このようなディストピアの状況をこと細かく設定し、挙句の果てには巻末に小説内で語られる新言語の説明まで入っているのを見ると、まるで嬉々としてこの地獄のような世界観の設定を楽しんでいるようにも思えるのです。ストーリーとして必要なものだけでなく、せっかくここまで考えたんだから、徹底的にこのディストピア設定を作り上げちゃおうという作家魂を感じるのです。

後半になってから、話はかなり観念的になり、そもそも人間は文明化したときから平等にはなり得ない、といったやや倫理観を揺るがすような論まで現れます。さらに、権力とはよりよい社会を作るための手段・・・ではなく、権力そのものが目的なのだと体制側の代弁者によって論じられるのです。
全体主義を倒した革命家が結局、独裁者になっていくという理不尽さ。しかも、より強固な統治システムを作り、民衆としては昔より生活が悪くなるといった状況に対して、著者は警笛を鳴らそうとする一方、ある種の諦念を持っているとさえ感じます。もはや、これは人間の悲しい性ではないかと。

青臭い理想的な政治を論ずる者たちを、鼻であざ笑うかのような小説。だからこそ、理想とは何か、日々悩んでいる若者に読んでみて欲しいと思います。
昨年ベストセラーだった村上春樹の「1Q84」はこの小説のオマージュなのだと思います。
それから、映画「未来世紀ブラジル」の世界観ととても似ていて、恐らく監督のテリー・ギリアムも1984のオマージュとしてこの映画を作ったんだと思います。

2010年3月23日火曜日

福島は雪だった

第一回にも参加した福島の声楽アンサンブルコンテスト全国大会に、今年も参加いたしました。前回は合唱団員の一人でしたが、今回は指揮者として参加。出来れば、今回は入賞したいな・・・という儚い願いもむなしく、今回も我々は参加賞でございました。残念。昨晩は福島市内で宴会をしたあとに外に出ると何と雪が!さすが東北。さぶ〜〜!!

さて、正直言って(選抜された)少年少女の均質な美しい発声にはかないません。ホールがそういう声を要求しているのでしょう。一般の部でも少年少女合唱団が軒並み高い成績なのを見ると、シニアの部とか作って欲しいとか思っちゃいます。というか、逆に中学、高校を一括りにして「青少年の部」とか作って、少年少女はそちらで出て欲しいなぁ。(というのは、一参加者の泣き言)

一般の部はほんのちょっとしか聴けませんでしたが、それでも何となく入賞の傾向は感じました。以下、このコンクールの傾向の勝手な感想。
・アップテンポの曲は不利
ホールが響きすぎなので、言葉が不明瞭に聞こえてしまいます。前回、今回となぜか我々はアップテンポが好きなのだけど。
・モンテヴェルディは不利
10年くらい前、私もモンテヴェルディばかり歌っていた頃がありました。世には少人数でモンテヴェルディを楽しんでいるアンサンブルがたくさんあります。その分、みんなの評価基準もめちゃくちゃ高くなると思います。
・混声は不利
これは上で書いたように、少年少女が有利の裏返しなんですが、女声や、男声のほうが音色の均質さは作りやすいですね。まあ、これは各団の声楽的な力量そのものということなんですが・・・
これを読んだ方は、是非、不利を承知で挑戦してみてください!

22日は金賞受賞団体による本選。今年も全部聞きました。本選での一般の部の団体の感想を書いてみましょう。
・会津混声合唱団
男声の団体なのに、いつもの名前で出るあたりがふざけているのか、真面目すぎるのかよく分かりません。第一回のときのコールスピリタスに似た、大人の上質な合唱エンターテインメントを楽しませて頂きました。今大会一番好きな演奏でした。本当に、役者揃いなのが憎いですね。
「十一月にふる雨」は、昔大学合唱団の部室で歌ったのを思い出します。今は、歌いたくても楽譜が無し〜。久しぶりに懐かしい気持ちになりました。
・Consonance
ロシアからの参加。全国大会ってロシアの参加もOKなんですね。それなら、韓国や中国やインドネシアなどのアジアの金持ち合唱団をもっと呼べばいいのに。
日本人とは異質の発声になかなか評価が難しかったと思います。純粋な聴衆としては、こういった合唱を聴けるのは大変楽しかったです。室内合唱として許容ぎりぎりくらいの、小さくて速いビブラートがかかっていて、それが音の輝かしさ、分厚さを感じさせる反面、精緻なハーモニーとは言い難い部分もあったという感じ。同じ北でも北欧の合唱とは全然違います。
・VOCE ARMONICA
非常に洗練されているのだけれど、何というか、とても日本的な感じがしました。"間の美学"とでもいうべき独特の音楽作りで貫かれています。その雰囲気が、他の団体と違う何かを感じさせていたのだと思います。

中学・高校では、独特のプログラミング及びステージングを見せてくれた宮城三女が私には好印象でした。
さて、静岡の一般代表がこの大会で入賞するのはいつのことになるのやら・・・

2010年3月19日金曜日

"MovableDo"がヘ音記号対応

Movabledoscreen1_3iPhoneのアプリ、"MovableDo"がバージョンアップ(1.3)しました。
今回の内容はずばり、ヘ音記号対応です。五線の画面全体がスクロール可能となり、左右にフリックすると調の変更、そして上下にフリックするとト音記号とヘ音記号の切り替えになります。
音域が広がったので、オクターブスイッチもさらに下にもう一オクターブ追加。"DoReMi"のスイッチで自動的にヘ音記号にも切り替わります。

実は、もう一つのアプリ "TransposeMusic" も同時にバージョンアップしたのですが、"MovableDo"が一足先に審査通ったようです。しかし、以前は審査に一週間もかかったのに、昨夜アップして12時間も経たぬうちにAppStoreに並ぶようになったのは驚き。審査の担当者数や方法などを大幅に変えたんでしょうねぇ。
最近はセクシーアプリの大量削除など、アップルの強引な運営が目立っていますが、当然私の作るアプリはそのようなことに引っ掛かるわけも無く、安心してアプリ作りを楽しんでいます。

ヘ音記号対応で、ベースの方にも心置きなく使って頂けると思います。これを機に、またアップロード数が増えるのを楽しみにしています。

2010年3月17日水曜日

では、心に響くとは・・・

以前書いたように表現活動にとって「新しい」ことが目的ではないのです。誰だって、自分の表現したものが他人の琴線に触れ、感動を与えたということは嬉しいに違いありません。もしかしたら、人生の究極の目標とは、他人に感動を与え続けること、ではないかと私には思えます。

誰かに感動を与えたい、ということと、感動を与えてくれた誰かを賞賛したい、ということは表裏一体を成しているのではないでしょうか。感動したら嬉しいし、それを与えたくれた人には感謝することでしょう。その感謝の意を与えてくれた人に直接伝えるだけでなく、自分がさらに他の人に感動を与えることによって恩を返すという感覚もあると思います。
そして、自分が表現したものに感動したと言ってもらえれば、それは最高に嬉しいことです。こうやって、人々の間に感動を与える流れと、その感謝の意を表す流れがぐるぐる回ることによって、人間の文化活動は成り立っていると思うのです。

つまり、ここで一つ言いたいことは、自分が感動を与えたいのなら、自分が常に感動する人間であらねばならないということです。そして、自分が感動を得るために、積極的に行動しなければなりません。
日々の労働に追われ、雑事に追われていては、なかなかそういう余裕も起きないかもしれませんが、それが人に感動を与える小さな一歩だと思います。
本でも、映画でも、音楽でも、漫画でも、何か自分に感動を与えてくれるものを追い続ける作業こそ、自らがクリエイティヴであることの最低条件では無いでしょうか。

2010年3月13日土曜日

13.そして平均律

12音全ての間隔が等しくなければ、必ずどこかの音程に歪みが現れてしまいます。どんな調でも使えるような音律を目指すなら、結局のところ、12音全てを等間隔にするしか道はなかったのです。
12音を等間隔にする、ということは、ピタゴラスコンマを12等分して、各五度に分配する、ということです。そして、そのようにして作られた音律が平均律と言うわけです。
結果的に、平均律の五度は純正な五度に比べて2[cent]ほど音程は短くなっています。これは非常に小さな値なので、ほとんどの場合気にするほどのことはないでしょう。

それでは長三度はどうでしょうか?
五度を四回繰り返して作るピタゴラスの長三度、平均律の長三度、純正な長三度は、こんな大小関係になります。
 ピタゴラス>平均律>純正
前回、ピタゴラスの長三度 − 純正長三度 = 22[cent]であり、この値がシントニックコンマと呼ばれるという話をしましたが、平均律の長三度 − 純正 = 14[cent]となります。
ピタゴラスよりはましですが、それでも平均律の長三度は純正な音程よりも高い音程になってしまいます。

現在のほとんどの音楽は平均律を元に作られているといっても過言ではありません。その一方、平均律を忌み嫌う人たちもいます。
確かに数字の定義の厳密な意味においては、平均律はハモる音程を全く使っていません。しかしながら、平均律は転調を容易にし、調律のややこしい取り決めを簡略化させました。それは音楽の発展を促す要因の一つにもなった、と私には思えます。

2010年3月12日金曜日

12.いろいろな音律

最も昔から使われていたのはピタゴラス音律と呼ばれるものです。もちろん、ギリシャの偉大な数学者、ピタゴラスが考えたと言われています。
この音律は、五度を積み重ねて音階を作っていきます。ちなみに、五度の積み重ねを12回繰り返すと元の音と同じ階名になります。元の音より7オクターブ上になるはずのこの音は、計算すればわかるのですが、残念ながら5度を12回積み重ねた周波数と同じ値にはなりません。



五度の積み重ねを12回繰り返した音と、それと同じ高さにあたる7オクターブ上の音の差のことをピタゴラスコンマと言います。この値は23[cent]程度の大きさです。後世の飽くなき新音律作りはこのピタゴラスコンマをどうやって詰めていくか、ということでもありました。

バロック時代には、長三度の音程が重要視されるようになりました。それは、旋律中心の音楽から和声中心の音楽への変化の時代でした。
五度の積み重ねを4回繰り返すと、元の音の三度上の音が得られます。ところが、ここでも五度の積み重ねの音と、純正な音程として得られる長三度の音と大きなずれが生ずるのです。
これはごく簡単な分数の計算で分かります。



この二つの差のことをシントニックコンマと言います。約22セントです。特にバロック時代以降に現れる音律では、このシントニックコンマを詰めるという考え方も現れました。
4回繰り返して22[cent]ずれるので、この1/4だけ完全五度を詰めれば、長三度はハモる音程になります。この音律を1/4シントニックコンマ、あるいはミーントーン(中全音律)と呼びます。同様な考え方で、長三度も完全五度もほどほどにということで1/6シントニックコンマというのもあります。

このように歴史上現れた様々な音律を古典調律と呼び、特に古典派以前の音楽を演奏する場合には、当時の音を再現するという意味で重要な要素となっています。

2010年3月6日土曜日

11.音階と音律

調律法としての純正律には非常に大きな欠点があります。
それは、完全五度「ソ」の完全五度上の音である「レ」と、完全四度「ファ」の上の長三度である「ラ」は、本来完全五度の関係であって欲しいのですが、ハモる音程からはかなりずれた、調子外れのピッチになってしまうということです。前回の数値を計算すれば、「レ」と「ラ」が2:3の関係になっていないことは理解できるでしょう。
一般に純正律と言うと、和音が非常に美しく響く代名詞のように思われていますが、残念ながら調律として採用するということはほとんど無いと言っていいでしょう。特定の音程を完璧にするために、他の音程が破綻してしまっては結局のところ音楽には使えないからです。

音階の各音の細かいピッチの決め方のことを音律と言いますが、この音律にはたくさんの種類があります。
音律について語るとき、いくつか注意すべき点があります。
まず音律は各音程のピッチを微調整出来ない楽器のためのものです。例えばバイオリンはフレットが無いので、自由なピッチを作り出すことが出来ますし、管楽器についても息の送り方などでピッチを調整することが可能です。
ピッチを微調整出来る楽器は、厳密な音律に縛られる必要はありません。その場その場で最も美しく響くピッチで演奏すればいいのです。最も美しく響くピッチとは、まさにこれまで書いてきたハモる音程のことです。
しかし、鍵盤楽器はその場で各音のピッチを微調整出来ません。そのため、事前に音律を決めて調律をする必要があるのです。

次に、音律には完璧なものはありません。何かを優先すれば(ある音程を優先すれば)何かが(別の音程が)悪くなるのです。そういう意味では、音律は常に妥協の産物です。
そして何を優先するかは、時代やジャンル、作曲家の考え方によって変わってきます。ですから、特に古い音楽を演奏するときの音律を決定するには、いろいろなことを事前に調査する必要が出てきます。

2010年3月5日金曜日

オモテのページで120000間近

恐らくブログに直接来る方が増えたためか、私のサイトのトップページから辿ってココを見る方は少ないかと思いますが、カウンタの120000番が近づいてきました。
これまでの記念番号の記事はこちら。今回も申告頂ければ、記念品を差し上げます。(最近出した楽譜もプレゼントOKですよ)
前回の記念番号から1年以上も間が空いてしまったのは寂しいですが・・・まあ、ブログ以外の更新は少ないし、仕方ないか。
では、今後とも当ページをご愛顧よろしく。

2010年3月4日木曜日

歌声の科学/ヨハン・スンドベリ

Science_3本屋で見つけたマニアック本。何か、今買わねばという義務感に駆られるように買ってしまいました。3200円です。
歌を歌うために声を出す、という仕組みを科学的に説明したという内容。表紙には「音楽家、歌唱指導者必携の書」と書いてありますが、申し訳ないけれど、この内容の意味を完全に理解するのは厳しいと思います。どうみても科学論文みたいな内容で、前提となる理系的知識が必要だからです。
私が「音のリクツ」で書いている、あるいは書こうとしている内容は、最低知っている必要はあると思います。あと、医学的内容(肺、声帯、咽喉の構造や筋肉名など)も盛りだくさんで、専門用語の嵐に目眩を覚えます。

しかし、私にとっては面白いデータ満載の本。
まず声帯の振動波形が入手できたのが嬉しい。それがダイナミクスの変化でどのように波形が変わっていくかも書かれています。もう一つは、フォルマントに関するデータ(男声、女声の違いとか)も利用しがいがありますね。
歌のピッチ精度や、ビブラート時のフォルマント変化、音高による母音認識、母音によるピッチ変化、などの内容は、直接音楽的効果にも絡んできますから、知識として知っていると役に立ちそう。

ヘビーな内容なので、まだざっくり目を通しただけですが、理系的に合唱を極めたい人、必携です。しかし、そんな人はどれだけいるんでしょう・・・