2010年5月30日日曜日

24.音の反射

「反射」などというとすごく物理的で、興味を感じないかもしれません。しかし、実は音楽的効果として無視できないものです。

音の小さい状態ということで無響室の話を書きました。
無響室とは音の反射を極限まで減らした部屋のことです。壁中に吸音材が貼ってあります。この状態で、すぐ隣の人と会話しても、恐ろしく小さな声しか聞こえないのです。そのような経験をすると、私たちが日常、どれだけ音の反射の中で暮らしているか驚かされるのです。

音がどれだけ良く反射するかは、反射面の材質や形状などで決まります。
もちろん真っ平らで硬そうな壁は良く音を反射します。例えば、コンクリートとか、石、煉瓦などですね。一方、綿、スポンジ、グラスウールのように密度が薄く、中に空気をたくさん含んでいるものは音を良く吸収します。
また反射の度合いは周波数によっても変わります。
高周波まできっちり反射する壁に囲まれた空間では、音がシャカシャカするでしょうし、高周波をあまり反射せず低周波しか反射しない空間では、音はモアモアします。

音の反射の最も分かり易い例は、山びこです。「ヤッホー」といったら、「ヤッホー」と返ってくるアレ。
しかし、実際の反射の現象はもっと複雑です。閉ざされた空間だと、音は何度も反射するからです。何度も何度も反射した結果、私たちの耳には音の残響として聞こえてきます。つまり残響とは、音の反射が大量に重なった結果起こるものなのです。
当然、音が反射しやすい壁で、なおかつ大きな空間では、残響時間が長くなります。ちなみに大きな空間、というのはどこかの寸法が長いだけで十分です。例えば教会は人の座る面積がそれほど広くなくても、天井が高いことが多いので非常に残響が長くなるのです。

2010年5月27日木曜日

妄想技術:Google Government

米Google社による行政効率化のための国家運営用IT技術の一セット。略称GG。GGに登録した個人、法人は以下のようなサービスを享受できる。
・GGに登録すると、年金、失業保険、生活保護などの受給権利は失われるが、毎月一律10万円程度のベーシックインカムが支給される。
・gAccountが自動的に開設され、全ての収入はこの口座に振り込まれなければならないが、所得税は自動的に計算され徴収される。従って確定申告をしなくてもよい。
・gAccountでカード払いすると、消費税の減額サービスが受けられる。
・GGに登録した法人は、法人税がやや高くなる代わりに、厚生年金を支払わなくても良い。
・また、法人においてgAccountに全ての収入や支出を統合すれば、経理を自動的に行うサービスを受けられ、会計報告、及び法人税の徴収も自動的に行われる。
・gElectionを用いて、選挙はネットを介して投票可能。重要な施策の国民投票や、政府のアンケートなどもこのサービスを介して行われる。立候補者の演説なども動画で閲覧可能。
・免許証、保険証などの各種本人認証カードは、指紋認識機能付きのAndroid OSを搭載した携帯を用いるため不要になる。
・gPoliceサービスでは、犯罪行為などを携帯で撮影し、その写真や動画を警察に投稿できる。
・gPoliceでは、投稿写真や動画より、画像認識技術を用いて自動的に、日時、場所、犯罪者の特定が可能である。
・政治課題について政治家、官僚、一般市民が自由に討論できる、オープンなネット上の掲示板であるgBoardを利用可能。場合によっては国会に提案される重要法案の骨格が作られる。有能な論客には議決権が与えられる。匿名による投稿も可能だが、議決権などの権利は与えられない。
・gSchoolでは、有名な先生の授業・講義を動画で無料で閲覧可能。ブラウザ上で回答するテストで学力の確認を容易に行え、また単位の取得ができる。学校に行かずとも、必要単位を家庭で取得し、卒業証書を得ることが可能。
・gRecruitでは、個人が自分の能力や実績をアピールし、希望職種や希望収入などを記載して登録できる。新卒入社者だけでなく、ヘッドハンティングを支援する公的なサービスである。

・・・考え始めるときりがなくなりました。ところで、こんな世の中にあなたは住みたいですか?

2010年5月20日木曜日

ベーシックインカム

全くのジャンル違いの話題です。今回は政治、経済のお話。
数年前の年金問題も記憶に新しいですが、今でも年金制度のあり方は政府の最重要課題です。また、昨今は不況の影響から失業者が増え、失業保険をもらう人も増えていることでしょう。暮らしていけなくなって、どうしようもなくなったとき、最後には生活保護があります。

この年金、失業保険、生活保護って、形は違えども働けない人に国から支給するお金です。他にも障害者への支給金とか、各種所得保障みたいな制度もあります。
だったら、わざわざ名目を分けずに国民全員に、最低限暮らしていけるだけのお金を払っちゃえばいいじゃん、と最近私は思っていたのです。企業が支払う給与もその分安くすればいいわけで、そうすれば企業の競争力も増すでしょう。そのための財源を考えなければなりませんが、まあ最低、税金はそれなりに高くするしかないでしょう。
もちろん現実的な諸問題は山ほどあるでしょうから、今までこんなこと非現実的な考えだと決めつけてました。

最近新聞を読んで、私の考えていたことが「ベーシックインカム」と呼ばれていて、こういったやり方を主張している人もいるということを知りました。なるほど、決して夢物語じゃないわけですね。
ちなみに、私は社会・経済問題を扱っているブログ「Chikirinの日記」の愛読者なのですが、ここでもベーシックインカムについて語られていました
この方の世の中の見方は大変鋭いと常々感心しているのですが、ベーシックインカムで、離婚が増えるだろう、と予想しているのにまず感心。さすがに読みが深い。
また、ベーシックインカムって莫大な財源が必要だから、大きな政府、というかと思っていましたが、逆に役所の仕事が減るから、小さな政府指向なんですね。

しかし、いろいろ調べるほど、ベーシックインカムって私好みの制度のような気がしてきます。
何しろSimple is bestだし、制度も分かり易い。食うために働かなくても良い社会は、一見理想郷のように見えて、個人の能力を丸裸にするでしょう。しかし、それはIT社会自体が指向していることでもあります(関連する話題はコチラ)。
ある意味、厳しい社会。でも、人間が次の段階に進む一つのステップであるような気がしてきました。(「人類補完計画」みたい)

2010年5月15日土曜日

23.音の速さ

音楽家にとって、音の速さに関する知見は意外と重要です。
音の速さは、気温や湿度などによって変わりますが、まあだいたい340[m/s]くらいです。時速にすると1225[km/h]。

これをもう少し音楽的な数値に照らし合わせてみましょう。
例えば、舞台の幅が34メートルあるとします(かなりでかい?)。そうすると、舞台の端から端まで音が届くのは0.1秒(「距離÷速さ=時間」ですね)。音符でいうと、テンポが150[bpm]のときの16分音符分の時間です。
昔、トリビアって番組が流行っていたとき、「携帯ではデュエット出来ない」というネタがありましたね。携帯では相手に声が届くのにやや時間がかかります。この状態でデュエットするとお互いの声を聞き合うほど、お互いがお互いより遅く歌うことになり、アンサンブルが出来なくなってしまうのです。

あまりに大規模な舞台の場合、音の遅れによって奏者全員が同じ音を聞けなくなり、それによって生ずるアンサンブルの乱れはだんだん無視できなくなります。
もうひとつやっかいなのは、私たちが舞台で聞く音は、直接音よりもむしろ、ホール内で反響して返ってきた反射音であり、さらに音は遅れている可能性があるということです。
従って、ホールがでかく残響も多い状態で、奏者が散らばり、テンポの速い音楽を演奏すると、ビートの縦を揃えるのが難しくなるでしょう。その場合は、核になる音を中央に置くとか、指揮者がなるべく機械的に(明瞭に)テンポを示すなどの工夫が必要でしょう。

PAせずに行う生演奏では、会場の響きに音楽が左右されます。特に残響時間は音楽に大きな影響を与えます。このような効果を理解した上で、その場で最適な音楽を奏でていきたいものです。

2010年5月11日火曜日

22.音の大きさ

音が大きい、とか小さい、というのは物理的には、波形の振動の幅が大きいか小さいか、ということです。ですから、波形を見ればある程度の音の大きさは想像することは可能です。

音が人間の聞ける最大音量を超えるとどうなるでしょう。爆音のロックコンサートでスピーカーの真正面にいると、後で耳がおかしくなることがありますよね。あんまり酷い音量の音を聞くと、いつか耳の機能は破壊されるのではないでしょうか。
では、最小音量はどうでしょう。そもそも音のない状態、というものを想像できますか。一人で部屋に居て静かにしているとき、そんなときでも何かの音はしています。
音の実験などをするときに無響室という特殊な部屋を使います。無響室は極限まで音の反射を押さえた部屋です。無響室に入ると、あらゆる音が小さくなります。何か耳を圧迫されたような不快感です。これもまた自然ではあり得ない、人工的な状態です。そして、こういう部屋でないと、聞こえる最小音量を測定することは出来ないでしょう。

実は、物理的に調べた音量(波形の振幅)と、人間が耳で聞く音量は必ずしも一致しません。人は聞くことができる周波数の極限に近づくと、だんだん小さな音が聞こえなくなるのです。
人間の可聴域は20〜20000[Hz]です。ですから、20[Hz]付近の低音、及び20000[Hz]に近い高音では小さな音が聞こえなくなります。
可聴域という概念があるのと同様、人間が聞こえる最大音量と最小音量があるわけですが、それは周波数に依存しているのです。



聞こえる音量を周波数毎に記録したグラフをラウドネスカーブと呼びます。以下はWikipediaに置いてあるグラフです。

一番下の線が人間の聞こえる最小音量です。縦軸が物理的な音量(波形の振幅)で、赤いカーブは各周波数で人間が同じ音量だと感じる音量です。これを見ると、物理的な音量と人間の感じる音量に違いがあるのが分かります。

2010年5月8日土曜日

21.人間の可聴域

発声の仕組みについて説明したので、次は聞く方です。
つまるところ、人は耳で言葉や音楽を聴くのですから、人の耳が聞こえない音を出しても意味がありません。
人の耳には、どのような音が聞こえて、どのような音が聞こえないかを知っておくことは、音を極めようとする人にとって必要なことでしょう。

人間の可聴域は周波数でいうと、20[Hz]〜20000[Hz](あるいは20[kHz])と言われています。
しかし、これはあくまで理想的な環境(騒音がない状態など)の場合であって、実際に我々が知覚している音はもっと周波数の範囲が狭いものと思われます。
また、人は老化すると高い周波数が聞こえなくなります。どんなに有名な音楽家でも、耳がよいと言われている音楽評論家でも、歳を取れば高音は聞こえなくなります。もちろん多少の個人差はあるでしょうが、自分が思っている以上に現実は残酷なのです。

公園で深夜たむろっている若者を追い払うためにモスキート音を流している、なんてニュースがありましたね。モスキート音は17[kHz]くらいの音。20代くらいまでの若者には聞こえますが、それ以上の年齢になるとだんだん聞こえなくなります。若者には不快な高い音でも、年寄りには何も聞こえないのです。
もちろん、だからと言って高齢者は音楽鑑賞に不利だなんてことは無いと思います。10[kHz]くらいまで聞こえていれば、音楽活動にはほとんど支障は無いのではないでしょうか。

ちなみに、電話は4[kHz]までの音しか聞こえません。その程度の音の品質でも言葉を伝えることは可能です。電話は、音が少々悪くても、回線の使用効率を考えた結果、このような値になっているのです。

2010年5月6日木曜日

3Dテレビの微妙さ

この不況のさなか、電機メーカーでは3Dテレビが久しぶりに広く普及する大型電機製品になるのではないかと期待しているようです。3D映画が年末くらいから目白押しで、テレビ・新聞などでも大きく宣伝され、一般の方もこれからは3Dテレビが主流になるのかな、と何となく思っている方も多いのではないでしょうか。

しかし、どうしても私には3Dテレビが普及するとは思えないんです。
いや、2,3年くらいは多少は売れるかもしれません。しかし、10年くらいたって、そう言えばちょっと前に3Dテレビって流行ったよね〜みたいな、過去の遺物になりそうな気がします。

まず理由の一つには、映像の全てが3Dである必然性が感じられない、という点。テレビのニュースやバラエティが3Dでなきゃいけない理由はないと思います。映画でも「おくりびと」とか3Dで観たいでしょうか。「髪結いの亭主」のようなフランス映画なんか、逆に興ざめじゃないでしょうか(別の意味で3Dで観たい?)。
次に、制作コストがアップするという点。映画も番組制作も、制作経費が安い方が良いに決まっています。「アバター」は超有名監督が長い年月をかけ、満を持して問いかけた作品です。そういうのと、その他大勢な作品を比べてはいけません。制作費がかかれば、コンテンツも増えないでしょう。3Dコンテンツが巷に増えなければ、テレビを買っても宝の持ち腐れ。ハードがあってもソフトが無い、みたいな事態になりかねません。
三つ目、専用メガネをかける煩わしさは、少なくとも女性の評判は悪そうです。こういうのって男は好きなんでしょうがね。裸眼で観て映像がぶれているテレビは、不特定多数が観るような場所では全く使えません。
最後に、そもそもこの商品、あまりにハードを売りたいメーカーの気持ちが全面に出た商品に見えます。テレビ放送側の対応はどうなるのでしょう。放送局は全部3D用カメラに買い換えですか。それともテレビを買った人は朝から晩までアバターしか観ないんでしょうか。

いずれにしても、私たちの映像芸術への鑑識眼が問われていると思うのです。
3Dであることで初めて成り立つ映像芸術があって、3Dの存在意義が生まれます。アバターはそれに大きく近づいた作品でした。しかし、それには多大な経費と類い希な才能が必要です。テーマパークのアトラクションならともかく、3Dでなくていいものを3Dにしたって、そこには価値は生まれません。
私には、3Dテレビが、4チャンネルステレオとか、5.1chのAVアンプのように一部の好事家の楽しみで終わるような気がしてならないのです。

2010年5月2日日曜日

みんなクリエーター〜のだめに見るクリエータ魂

「のだめカンタービレ」を観てきました。
何度も書いていますが、バカバカしいけど良くできてます。原作が良いのだと思います。揺れる乙女心の理不尽さなどは、なかなか凡百のトレンディ系映画には作れない流れだなと感じました。

しかし何と言っても、この映画の面白さは、シビアな音楽芸術の探求の道をリアルに描いていることにあります。力がある人ほど、コンクールなどに振り回されながら、自分っていったい何なんだろう、とアイデンティティの在処に悩むものなのでしょう。平凡な能力の持ち主が、いくら「音楽の価値ってコンクールで決まらない」などと言っても、そこで想定される音楽の厳しさのレベルが違いすぎます。

この映画で、クリエータとは何ぞや、という点について示唆されていたことを二つほど。
一つは、クリエータの本質とは何か、ということです。のだめはいくら勉強しても、あるいは落ち込んでも、その本質は変わりません。自由奔放で、ぬいぐるみと戯れる、おとぎの国のようなファンタジー世界がのだめ的本質です。だから、その本質に近いラヴェルのピアノ協奏曲が大変気に入ったのです(しかしピアニストが留学先でこの名曲を初めて聴いた、というのはいかがなものか)。
だから、のだめは自身の本質と一生つきあわねばならないし、それを大きく変えることは不可能でしょう。しかし、その表現方法は勉強や経験でいくらでも変わっていくかもしれません。

二つ目は、最高の演奏をしたから、もうこれ以上の演奏は出来ないとのだめが思った点。これはクリエイティヴィティについて、非常に重要な側面をあぶり出しています。
私の思うに、クリエータの重要な性格として
1.作品を必ず仕上げる執念
2.作り上げた瞬間に、それに飽きたらず、さらに良いモノを作らずにいられない感覚
の二つがあると思っています。
現状の肯定はクリエータ魂の堕落です。いつも満足しないこと、それはちょっといやな人間に見えますが、クリエータの重要な特質ではないかと思うのです。

関連:
みんなクリエーター〜オジさんはアート嫌い
みんなクリエーター〜大事なのは見た目
みんなクリエーター〜コンセプトを作る
みんなクリエーター