2012年6月23日土曜日

コンテンツビジネスの未来

違法ダウンロード禁止法案関連のツイートがたくさん流れてきています。
多くの人が憤っているように、法律を作る動機のあまりの時代遅れ感に、当然のごとく私も幻滅しています。
なぜなら、それが禁止しようとすることは、ユーザーの便利を阻むことであり、IT技術やネットの存在意義に対する真逆の価値観による行為だからです。

もちろん、実際にお金をかけてコンテンツを作って、それを売っている人から言わせれば、タダでコピーされたらたまらない、といったところでしょう。
しかし、残念ながら時代はあっという間に、そういうビジネスモデルを否定し始めてしまいました。インターネットが出現した15年前からそれに気付いていた人はいたし、私自身も10年くらい前には今のような事態を予想していました。
すでに、ネットの最前線にいる人たちにはそういう感覚は常識ですが、未だにこの常識を受け入れられない人たちがいるのも確かです。

この事態を受け入れられるかどうかは、もう頭の柔らかさ、としか言いようが無いと思います。特に我々の年代あたりがその分水嶺となっていて、この世代では見事に二手に分かれます。
CDが売れなくなって、音楽業界が完全に衰退しているのはもはや常識ですが、そういう状況で今のネット時代を恨み、昔のCDが売れていた時代を懐かしむのか(つまり未来の否定)、これから起こることを肯定していくのか、という態度の違いです。

ネットでほとんどタダで音楽が聴けるようになって、誰もがCDを買うなんてバカバカしいと思っているのは事実です。これは一消費者からしてみれば、全く当然の感覚です。
仮にCDを買ったとしても、自分はこの音楽を自宅のオーディオ機器で聞いたり、家のあらゆるPCで聞きたかったり、カーステレオで聞きたかったり、iPodで聞きたかったりします。今の技術を持ってすればいちいちCDを持ち歩かなくても、どこかにデータを置いておいたほうが便利だと普通は考えます。
それが自宅PCでなくてクラウドならさらに便利です。もっというなら、自分でリッピングする作業をしなければもっと便利です。

CDはiTunes Music Storeがやや強引にそういう世界を作りつつありますが、DVDはもっと悲惨です。こちらは再販制が無く値段が安くなった代わりに、かなり強力なプロテクトがかかっており(もちろんリッピングは可能ですが)、誰もが簡単にクラウドに置いておく、という状況にまではなっていません。
そこそこの値段で買ったのに、子供がDVDを破壊してしまったら、もう二度と観れなくなってしまうんです。私にはかなり深刻な問題です。

こういう事例が示していることは、もはや、データのパッケージを買うという感覚が古いということです。
私たちが買っているのは、その曲を聞ける権利、その映像を観れる権利、なのです。だからモノを買っているのではなく、サービスを買っているのです。
権利を買っていると考えるのなら、それをどんな形態で聴いてもらっても構わないし、むしろ1ヶ月だけ聴けるとか、永遠に聴けるとか、そういうところで値段設定を変えることも可能でしょう。
もちろん、データそのものはネットにあり、どのデバイスからでもアクセス出来るようにしておけばいいのです。
とは言えデータである以上、リッピングの問題はつきまといます。金を払わねば聴けないようにするには技術でプロテクトを書ける必要がありますが、いくら技術で押さえてもそれらはすぐに破られるものだからです。

今の時代、マネタイズはもう一歩先を行き始めています。
クラウドファンディングといったような言葉が流行り始めているようですが、例えばアーティストが直接投資、あるいは寄付を受けるというようなやり方です。
私もこちらのほうがずっとスマートに思えます。
それはいわば、大昔の流しの世界です。その場で音楽を勝手に演奏していて、聴いた人がいいと思ったら投げ銭を入れるということです。これをネットで世界規模でやってしまえということなのです。

そう考えると、IT、ネット技術が進むほど、私たちの文化はむしろ原始的な価値観に戻っていくように感じます。恐らく文化はモノの経済学と結びついたときから一度歪んでしまっていたのです。その歪みが、今ネットという技術のおかげで、ようやく無くなろうとしているのではないか、とそんな気がしているのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿