2013年3月23日土曜日

新しい中世が始まる

最近の世の中の流れを「中世」というキーワードで考えてみると、何だかしっくりくるような気がしています。
もちろん私は歴史家でも何でもないので、専門的な知見に基づいた話ではありませんし、そもそも歴史上の中世について正しい認識を持っているかも疑わしいです。
それでも、これからの時代が何かここ数百年の近代化とは逆の方向を向いているのではないかと感じます。

例えば、我々は理想の統治形態を民主主義だと考えます。日本ではきちんと選挙も行なわれ、人々の投票を元に議員が選ばれ、その議員が法律を作っていきます。
しかし、今や日本の政治は凋落の一途を辿っています。政府の力ではどうにもならないことがあまりにも増えてしまいました。

では政府に変わる存在はあるのか、と考えると、それはグローバル企業なのではないかと思うわけです。世界を牛耳る少数のグルーバル企業は、我々の常識を決定し、我々の行動様式を規定します。政治的な強制力はないけれど、私たちが自分の意志で喜んで購入していると思っているものは、実はグローバル企業の巧みな戦略にまんまと嵌っているように思えます。
企業の統治は民主主義ではありません。少数のエリートがビジネスやサービスの方法を決めていきます。グローバル企業が世界を牛耳る世界では、もはや民主主義は通用せず、一部のエリートによる社会の制御が可能になる社会でもあるのです。

さて、近代化の象徴といえば、モータリゼーションや、飛行機などによる人間の移動の活発さです。
しかし、IT技術はテレビ電話を容易にし、人々がある場所に行かなくても用が足りるような環境を作ってしまいました。
交通機関を利用する人が減れば、コストも上がり、交通費が高くなります。エネルギー問題がだんだんとシビアになっていく昨今、燃料費もバカになりません。
そんな未来、人々はだんだんと遠距離移動しなくなくなるのではないでしょうか。
また、社会の効率化が進み、過疎化と都市化が進み、ほとんどの人々が都市部に住むようになれば、そこだけで衣食住の環境が揃い、人々の行動範囲がむしろ今より狭くなっていくような気がします。これも私的には中世的な現象に思えます。

近代は人々を豊かにしましたが、中世には大きな貧富の差がありました。
そして、これからも同じことが起きるのではないかと考えます。世の中のIT化、ソフトウェア化はホワイトカラーの仕事をどんどん奪っていき、機械に出来ない単純作業か、新しい価値を創造する頭脳労働の二方向に職業は収斂していくでしょう。
当然前者は貧乏で、後者は大金持ちです。またこういった格差は世代を引き継ぐことになり、またしても人間は階層社会を作ってしまうことでしょう。
行き過ぎれば、その階層社会を打ち破る人も出てくるのでしょうが、むしろ今は無駄な平等意識が社会全体のコストを押し上げているような気がしてなりません。

世の中の日常品は、大会社の大工場によって作られるのではなく、ほとんどが近場にいる職人によって作られるようになるでしょう。
もちろん、世界中の誰もが使うもので、なおかつコストを低く抑えられるのであれば、大量生産が向いています。
しかし、家具とか電機製品などもデザインで選ばれるようになれば、大量生産品が避けられ、最終的には稀少なモノの方が有利になるような気がします。
メーカーの視点に立つと、プログラムも図面も全てネット上で入手出来る時代、工場を自力で建設するよりも、製造そのものを他社に委託してしまったほうが固定費が削減出来、経営的には嬉しいことと思われます。
そのような時代、結局大会社は瓦解し、一人一人が自らの力で収入を得るということが、より重要なことになっていくものと思えるのです。

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