2013年5月25日土曜日

これから起きること ─ 新しい働き方:「多様性」を受け入れる

以前この記事から始めて、何回か私の思う「これから起きること」を想像してみました。
その続きで、「働く」ということがこれから少しずつ変わるのではないか、ということを書いてみようと思います。

というのも、最近この手の働き方を論ずる言説を結構目にすることが多いのです。もっとも私自身が興味があるから、気になるだけかもしれません。しかし、誰しもが働いてお金を得ているわけですから、本来なら全ての人に関係のある話です。

働き方の問題で一つポイントなのは「多様性」というキーワードです。ダイバーシティなどと横文字で書かれることも多いですね。
ビジネスの範囲が広がり、世界を相手にしないと商売が成り立たない時代になってきました。こういう時代には顧客が非常に多様であり、それを理解出来ないととんちんかんな製品やサービスしか出すことが出来ません。

これは単純にマーケットの多様性を理解しろ、ということだけではありません。相手のことを知るなら、相手のことを知っている人を仲間に入れる必要があります。でなければ、発想の違う相手の懐に本当に飛び込むことは無理だからです。
つまり、多様な人々を相手にするということは、自分たちが内部に多様性を取り込むことにも繋がるわけです。

ところが多くの日本企業は、外国人はおろか、女性でさえもきちんと組織の中に取り込むことが出来ていません。
もちろん外国人や女性も今ではいろいろな場所で働いていますが、その絶対数は多くはなく、また発言力も弱いです。常に仕事の周辺に置かれてしまうことが多いように感じます。
これは、外国人、女性だけの問題ではありません。能力があってもややエキセントリックな人たち、あるいは理屈っぽく空気を読めない人たち、アイデアが斬新すぎてすぐに理解されない人たち、こういう人たちが少しずつ排除され、周辺に散らされるようにさえ感じます。

これは一言で言えば、多様性の排除です。
多様性を排除すれば、同じような価値観の人たちでモノゴトを運ぶので、非常に効率的です。わざわざ言葉で言わなくても、きっと相手はこう思うだろう、と勝手に推理するので、コミュニケーションも少なくて済みます。
しかし、これがあちらこちらで仇になっているのです。もう、それではマズいのではないかと、ちらほら気付いている人たちがいるのです。

少なくとも日本企業は多様性を受け入れることを始めないと、世界でビジネスが出来なくなるでしょう。
そのためには、人々のスキルをきちんと精査し、業務のインプット、アウトプットを明確にし、言わなくても分かるだろう的文化を排除しなければいけません。また組織はアウトプットのQ,C,Dははっきりさせても、それを達成するために個人が何時から何時まで働くべきか、ということに口を出さないようにしなければいけません。でなければ、多様な人生を生きる人々を同じ組織の中で働かせることが出来ないからです。

私が言うと、やや生々しいけれど、残業、休日出勤を強要する文化というのは、確実に多様性を排除することに繋がります。なぜなら、人々の生活を会社活動に合わせることを強要しているからです。
多様性を受け入れるということは、部下に夜遅くまで業務をやらせて納期を守らせる、というやり方を止めるということでもあるはずです。

「多様性」という一点だけ見ても、ほとんどの日本の会社の日々の仕事が成り立たなくなるくらい、大きな意識の変化が必要です。
国際的な競争がむしろそのような多様性を強要することになるでしょう。この話は倫理的な側面を持っていますが、実際に企業がそう変わるためには、単純に市場による淘汰しかないと私は思っています。
つまり、多様性を受け入れないと、企業は存続出来なくなるはずなのです。


2013年5月19日日曜日

一人メーカーの実現方法 ─何を外注化するか

当たり前ですが、一人メーカーとは言っても全てを一人でやるのは不可能です。
つまり、現実には何かの仕事を外に発注することになるわけです。
そして、一人メーカーを実現する上で最も重要なことは、何の仕事を外注化するか、ということなのかもしれません。

「一人メーカー」という以上、その一人が最低商品の初期イメージを持っている必要があります。しかし、逆に言えばそれだけが必須項目で、後の残りは何を外注化したって構わないわけです。
もちろん、自分に開発時における得意技、スキルが何かあるのなら、そこまでは自分がやってもいいでしょう。
ただ、恐らく一人メーカーの実際の仕事は、そのほとんどが外注の選別や打ち合わせ、ということになるような気がします。

では、実際に外注化する仕事はどんなものがあるでしょう。
・商品デザイン
・検討部品購入
・部品試作
・試作品組み立て
・ソフトウェア開発
・ホームページ(商品情報サイト)作成
・Eコマース
・生産用仕入れ
・生産組み立て、梱包、配送
・経理
・必要に応じて法務とか

挙げてみただけで気が遠くなりそうですね・・・
恐らく、まだもっとあるに違いありません。

外注化するということは、これらに対して対価を払うわけですから、結局開発の初期投資もバカにならないし、借金するならそれなりの覚悟も必要です。

出るお金を減らすためには、上の仕事のうち、どこまで自力でやるかを考える必要があります。
一人メーカーというのですから、試作や組み立て、ソフト開発くらいまでは自分でやりたいものです。

自分の場合、ソフト開発をやってきたので、少なくともそれは自分でやりますが、それ以外の仕事は経験がほとんどありません。とはいえ、試作品を作るための最低限のスキルを持っていないと一人メーカーになるのは厳しいと思います。
その最低限のスキルはやはりCADのような図面作成ソフトを使いこなして、図面を書く力ではないでしょうか。
今なら、図面さえ書ければ、3Dプリンタの出力サービスもありますから、実際に形にすることは(お金さえかければ)それほど大変というわけでもありません。
そして3Dプリンタで試作品が簡単に作れる世の中においては、どう考えてもCADを使いこなすスキルが非常に重要になるでしょう。

あと、商品コンセプトは自分で作るわけですから、出来ればデザインも考えたいところですが、ここはやや考えどころ。インダストリアルデザイナーのような方々は独立している業者も多いですし、ノウハウもたくさん知っていますから、生産品のコストのことまで考えて、なおかつ素人には到底無理なアウトプットを出してくれるなら、思い切って外注化するのはアリかなとは思っています。
ただ、それでも最低、何らかの絵は自力で書くべきだとも思っています。

一人メーカーの実際の仕事は、生産するかどうかが一つの分かれ目になるでしょう。
現実的には、試作品を作って、いろいろなチャンネルでまず公表し、その様子を見てから生産の決断をすると思います。売れもしそうのないものを売ったら赤字から抜け出すのは大変です。
まずはネットを使って、そのスジの情報が集まっている場所に、うまく公表する必要があります。公表の仕方にも影響は受けるはず。また、何らかのイベントにも積極的に参加し、人目に触れる努力も必要です。しかし、それもコストはかかりそう・・・

とは言え開発費を回収するためにはいつかは生産する必要があるわけですから、どのタイミングで生産をするかが思案のしどころでしょう。


2013年5月11日土曜日

一人メーカーの実現方法

メーカーズ・ムーブメントを受けて、「一人メーカー」などというキーワードも現れています。私にとって、なんと甘美な言葉なのでしょう!

もともとモノ作りが好き。
だけれど、ある程度の規模のものになると一人ではなかなか作ることができません。会社に入ってモノ作りの一翼を担うというのは、もちろんこれまで自分にとって楽しい仕事ではありました。
しかし、本当に自分のやりたいことは、全て自分が関わりたいし、全て自分が決めたい。ジョブスみたいに圧倒的なカリスマとして、他人を感化して動かすことが出来ればいいけれど、それも現実難しいです。

折しも昨今メーカーが商品を売る、という行為そのものも少しずつ変化を見せ始めているようにも思えます。
その理由の一つは多機能化、高性能化が過度に進み、コンシューマレベルではもはや性能差を競うような時代ではなくなったことが挙げられます。
現実に、多機能、高性能な商品より、コンセプトが明確だったり、デザインが美しかったり、ユーザーのかゆいところに手が届くようなニーズに応えたりといった、企画そのものが秀逸な商品が売れるようになっています。
商品開発も、個々のチームが優れたものを持ち寄って、それをただ組み合わせて商品化するより、強い個人の想いが製品に全面的に反映されている方が個性的で面白いものが生まれるし、そういうことが求められる時代になってきました。

こんな流れを極めていくと、最後には一人でモノが作れればそれがベストだということになります。つまり一人メーカーです。


しかし、実際のところそれは可能なのでしょうか?
私の片寄ったメーカー勤務経験からちょっと考えてみます。

商品を作って売るまで、技術的な仕事は大きく分けて商品開発と工場生産があります。
電機製品などの場合、中にはマイコンがあり、そのプログラムやデータを作るのにたくさんの時間がかかりますが、電子回路や製品の筐体などの開発にはそれほど複雑でなければ時間はかからないでしょう。
逆に見た目が非常に精巧なものとか、複雑な外観をしたものは、工場での生産の仕方が非常に難しくなり、それを考えることに時間がかかりそうです。

人によって得意技は違うでしょうが、私の場合、前者の方が自分のスキルを生かせます。
比較的シンプルな外観、外装で、中の電子回路も汎用なものを使えば、生産での工夫や苦労は少なくて済むからです。
恐らくその場合、生産そのものを委託することになり、いわゆるファブレスにすることが出来ます。自分で工場を建てなくても良いわけです。

上の場合、商品の差別化はソフトウェアやデータ、あるいは商品のアイデアそのものということになります。ですから、マイコン上で動かすソフトウェア開発が、やはり大きな仕事になっていきます。

とは言え、独自商品を作るには、最低限の外観を表現出来る手段は持っている必要があります。
最近は3Dプリンタなどで簡単に試作することが出来るようになりましたが、そうなるとそれを扱うスキルや、3Dプリンタ用のデータ製作スキルが重要になってくると思います。

一人メーカーの場合、販売は自ら店頭で行なうのは無理でしょう。
ほとんどの場合、Web上での販売となるでしょうが、それでも梱包、配送、販売管理などは大変な手間がかかります。
これもちょっと検索すれば分かるのですが、最近は商品の梱包、配送などを委託できる会社も増えています。こういった会社を利用すれば、製造、梱包、配送といった商品を世に供給するシステムをほぼ委託で済ますことも可能です。

残る仕事は・・・、部品調達、営業(宣伝)、経理といったところでしょうか。

うーん、やはりまだまだ一人でやるのは大変ですね・・・

「一人メーカー」の時代が来るためには、今会社の中で行なわれている仕事が一つ一つ分解されて小さな単位でみんなが独立する必要があります。
開発でも、ソフトウェア開発を委託したり、電気回路設計を委託したり、特殊なパーツの設計を委託したり、さらには経理や、工場との仕事の橋渡しが委託出来たりすれば、もう少し気軽に個々人が独立し易くなっていくと思うのです。


2013年5月5日日曜日

特許とか著作権とかでしばることが時代遅れになるかも

前々回の「カマボコオルガン」に関連して、出来る出来ないはともかく、こういうことをいち早く公表した方がいいんじゃないかと思った心境など語ってみます。


作る前にアイデアを公表してしまう場合、まず誰かにそのアイデアを盗まれないかが心配になります(それほどの内容かはともかく)。だから、今までの常識でいえば、通常はアイデア段階のものをそれほど表に出すことも無いものだと思います。

そもそも特許とか著作権とかいう考え方は、誰かが考え出したアイデアをそのまま真似されて、損をするようなことがあったからこそ、生まれたものではないでしょうか。
しかし、このアイデアを真似されて損する、というのはどのような状況で成り立ち得ることなのでしょうか。

アイデアを考えた人が、それを実現するだけの十分な生産能力を持っていなくて、逆にアイデアを盗んだ人がその生産能力を持っていた場合、これは最初に考えた人は損することになります。
もし、アイデアを盗んだ人がそれによって大きな利益を得たのなら、アイデアを考えた人がその利益から幾ばくかの分け前を頂くべき、とは誰もが思うことでしょう。

もう一つ、上のような事態になる原因として、買う側に「誰のアイデアか」という関心がほとんど無いという条件もあると思います。あるいは、それについて知る由もないという状態。
これは意外に大きな要因だと思うのです。買う側にとって、便利なものが目の前にあればそれを買えば良いだけのこと。
しかし、それでも実はその商品の基本的なアイデアは誰か別の人が考えていて、その商品はそのアイデアを盗んだものだと、もし買う人が知っていたらどうでしょう? それでも人はその商品を買うでしょうか。道義に反すると人々が感じれば、それは商品にとってもずいぶんマイナスのイメージにならないでしょうか。
情報化時代には「アイデアを盗んだ」ことがバレ易くなるはずです。そしてそれは、その商品価値にとって大きな打撃になると私には思われるのです。

もう一つは、アイデアはたった一つではなく、芸術作品のようにトータルなイメージで醸し出すものであるとすると、その価値はまるっきりマネをしない限り得られないものと思われます。
例えば、ある文学作品の特定の章だけ抜き出しても、盗んだ側がオリジナルと同じだけの効果を得ることは不可能です。
これは単体機能(アイデア)でも取得可能である特許より、著作権が得意な分野になりますが、アイデアが芸術性を帯びるほど、真似ることは困難になり、丸コピーするしか手が無くなるのです。


このようなことを考えてみると、これからの時代、特許や著作権という形で自分のアイデアを法的に保護しなくても全然問題無いのではないか、むしろそのような保護をすること自体がアイデアの発展を阻害するのではないでしょうか。

上で書いたように、特許を登録などしなくても、ネット上で公開すれば、誰がいつそのアイデアを公表したかはすぐ分かります。
ある程度の規模の会社なら、誰かのアイデアを無断で真似ることはむしろリスクが高すぎます。もしバレたら会社の信用がガタ落ちです。普通考えれば、まともな会社ならそんなことをしないでしょう。
むしろマネをしたい企業が、アイデア保持者に対して利用の許可と、適切な対価を払うことを約束した方が、両方ともWin-Winの関係になるはず。

また今の時代、ソフトウェアによる技術が主流になっていくと、特許の考え方も少しずつ変わっていくのかなと感じます。
なぜなら、ソフトウェアはいかようにも書けますから、よほど基本的なことでない限り、特許回避は比較的可能です。単機能の特許なら、むしろ特許化して公表することは、特許回避の手段を考えさせることに繋がります。
しかし、莫大なソフトウェアを完全に模倣することはかなり難しいです。ソフトウェアである世界観(OSのGUIなど)を構築した場合、これを同じように真似ることは相当な工数が必要になります。
このような場合、ソフトの仕様を真似て自力で作るより、オープンになっているソフトウェアをそのまま利用した方が圧倒的に効率の良い開発が行なえることでしょう。
つまり真似する側は、似て非なるものを頑張って作るより、許可を得て、オープン化されたソースコードを利用させてもらう方が、利益を得るという意味で理にかなっています。

このようなことを考えていくと、情報化が進むほど、アイデアが作品性を持ち世界観が明瞭であればあるほど、無許可の模倣は難しい時代になってくるのではないかと考えるわけです。
そして、そのような時代には、思い付いたらまず公表してしまう、というのが正しい考え方ではないかと私は思います。