2013年7月20日土曜日

感動的な歌を歌うということ

合唱の醍醐味の一つは、みんなで感動的な歌を歌うことにあります。
大自然の壮大さを表現した音楽、悠久の歴史を表現した音楽、大切な人との死別をテーマにした音楽、戦争や災害などを扱った人間ドラマ、こういったテキストを感動的に歌い上げることは、自分の人生においても大切な経験になることは間違いありません。

感動的な音楽を大人数で歌い上げれば圧倒的な高揚感が得られますが、感受性が豊か過ぎる人にはあまりに心を揺さぶられ過ぎて、演奏の舞台の上でも歌えなくなるくらい、こみ上げてくる場合があります。私もずいぶんそういう経験をしてきました。
感受性の強さは人によって違いますから、むしろ音楽作りはより多くの人を感動させる方向に向かっていきます。感動的な作品は、それ故になるべく多くの人を感動させるべく、より派手で高揚感の高い音楽を志向することになります。
それを首尾よく行なえば、多くの人々の心に残る演奏会になることは間違いありません。
一般的には、多くのアマチュア演奏家の興行はこのような演奏会であることを目指そうとしているように感じます。

その一方、音楽を専門的に勉強すればするほど、音楽そのものの魅力、演奏家としての力量、音楽が作られた歴史的背景など、ややレベルの高いコンテキストを共有した人たちと相互理解を深めたいと考えるようになります。

プロの演奏家であれば、音楽の魅力で勝負する音楽家でありたいと思うし、それに見合ったレベルの高い聴衆に聞いて欲しいと考えているはずです。
ところが、単純にコンサートでの音楽鑑賞を市場としてみた場合、圧倒的多数の人々が音楽に感動を求めており、そこには常にプロと大衆の意識の乖離が発生してしまいます。

プロである以上、自分たちが食べていくために市場に向き合う必要があります。
そういう意味で、プロの人たちの生き様、向かうべき音楽性を眺めてみると本当に興味深いものがあるわけです。
例えば、合唱作曲家で言えば、アマチュア合唱団向けの感動的な作品をコンスタントに書ける作曲家は、一般での知名度も高く、いわゆる売れっ子という扱いになります。
その一方、敢えてそのような感動的な世界観を避け、純粋な音構造や、芸術的興味に根ざして創作活動をする作曲家もいます。

どちらがいいなどとは私には判断出来ないし、一人の創作家が二つの側面を持っていても全然構わないと思います。
むしろ、創作家である以上、常にこの二つのバランスを保つ必要はあるとは思っています。どのような芸術作品であっても、他人に理解してもらわなければ意味はないですから、プロであっても大衆と向き合うという感覚は忘れるべきではないとも思います。

ただ、逆にアマチュア演奏家の方々には、もう少しこういう感覚にセンシティブであって欲しいと思います。
感動的な作品ばかりを歌い続けると、むしろ感動に鈍感になるような気もします。また、音楽そのものの面白さとテキストによる感動を混同してしまうことにもなりかねません。
もとよりコンサートに足を運んでくれる聴衆は、感動的な音楽ばかりでなく、リズミカルな曲や、エンターテインメント性のある曲なども求めています。

感動的な音楽は私たちの感性を育みます。
しかし、安易に音楽に感動を求め過ぎることによって、その感性さえ萎えさせる可能性もあると思います。音楽をやる以上、音楽そのものの面白さにも十分意識を払って音楽活動に取り組んで欲しいと思います。


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