2014年12月23日火曜日

PICに挑戦!

ここ1ヶ月ほど何をしていたかというと、ずっとPIC(ピック)と格闘していました。

PICとは何かというと、電子工作マニアの間では非常に有名な8bitマイコンなのです。
今までずっとRaspberry Piを使ってMagicFluteの製作を続けてきましたが、ここ数ヶ月ほど方針を変更して、一つのマイコンでセンサー検知と音源処理を行うのではなく、楽器操作部と音源部を分離することにしたのです。その操作部の製作のために、mbedを使い始め、そしてダウンサイジングの果て、ついにPICを使うことにしたのです。

mbedは非常に敷居の低い開発環境が魅力でしたが、CPUの能力としてはかなり高く、自分のやりたいことからするとややオーバースペックでした。たくさん数を作ろうとすると、値段も問題になってきます。もちろん、BLEを扱うならmbedなのですが、BLEの前にまず、普通のMIDIやUSB MIDIを扱おうとさらに路線を変更した結果PICにたどり着いたというわけです。

PICは入手性も高く、何しろ安価なのが大変な魅力。その代わり、mbedのような分かりやすさやハードを隠蔽するような仕組みはなく、ひたすら自力で低レベルのハード設定を行う必要が有ります。

ここ1ヶ月、PICの開発環境の導入や、ライブラリなどの探索、関連部品の調達、そして実際に動かしてみて試行錯誤を繰り返しながら、ついにLチカ、USB MIDIの出力、I2Cでの通信に成功しました!

ということで、実物をお見せいたしましょう。


黄色の矢印で示している緑色の基板に載っているチップがPICです。
今回はPIC18F14K50というマイコンを使用しています。
これが、RAM:768byte、Flash ROM:8KBのメモリを内蔵している超カワイイ組み込みマイコンなのです。

ギガバイトとかメガバイトとかじゃないですからね。ただのバイト、ただのキロバイトなのです。もうパソコンから見たらゴミのようなメモリ容量です。

この20pinのチップの中にUSBやI2C、AD変換、IOポートなどの周辺機能が入っています。
左隣の赤い物体は、PICkit3といって、PIC内蔵のFlashROMにプログラムを書き込む道具です。PC上のIDEでプログラム開発をして、コンパイルしてバイナリ化した実行プログラムをこの赤い道具でPICに転送し書き込むわけです。

現在、上記のブレッドボード上でプログラム開発をしていますが、ある程度電子部品の動作が確認できたところで、新しいMagicFluteの試作を始める予定です。

2014年12月12日金曜日

「作る」の未来 –今足りないもの–

以前このタイトルの記事を書いたとき、個人が趣味で何か「作る」ことに対して、まだまだ社会との交点とか、生業としての可能性みたいなことを語るのは時期尚早だと思っていました。

しかし、最近のMaker Movement関連で作られた具体的な事例を知るほど、まだまだ私たちの生活が便利になる小物は意外とたくさんあるものだと思い知らされます。

例えば、「スマート座布団」なるものを作った方がいます。
座布団の中にセンサーを入れて、どの座布団に実際に人が座っているかをリアルタイムで知ることができるシステムです。飲食店で使うことによって、お客の在席状況もわかりますし、1日の統計を取れば、客あたりの滞在時間や、一人で来たか、連れで来たか、といったことも多少の推測は可能でしょう。
飲食店でなくても、図書館とか、銀行や病院の待合室とか、そういう場所に設置したらどのようなデータが取れるか考えてみると面白そうです。

また、ある人は職場のトイレのドアにセンサーを付けて、今トイレに人がいるかどうかを自分の席で分かるシステムを作ったそうです。
あらかじめ現在のトイレの使用状況が分かると、トイレに行っても空いてない、ということはなくなります。
ただ、このデータのログを取って解析するのはあまり気は進みませんが・・・

これらの事例より、我々の生活の至る所にセンサーを付けることによって、まだまだ日々の暮らしが快適になる可能性はあります。
今までこのようなセンサーは個人で買うのは割高だし、痒いところに手が届くような機能も付いていませんでした。BtoB向けになると数量も出ないでしょうからカスタマイズも難しく、自分で好きな統計を取ることもままなりませんでした。

しかし、こういったセンサーと情報収集の仕組みと情報解析の仕組みを組み合わせることが技術的に簡単になれば、こういうシステムを構築できる人も増えてきます。最初は、個人の趣味で始めたことも、ビジネスになると分かれば、それを職業にする人も出てくるでしょう。そしてこれから、こういったシステムを個別最適に作ってくれる小さな個人事業がたくさん出てくるかもしれません。

センサーと情報収集や解析の仕組みからもう少し飛躍して、社会的に起こりそうなことを考えてみましょう。
例えば、近いうちにコンビニや各種店舗が無人化されるかもしれません。その場合にも、無人化を可能にするような各種デバイス(個人認証で入れる自動ドアとか)が開発されることによって、いろいろな特殊用途の無人化システムが作られることでしょう。
また、車の自動運転が一般的になれば、まずは人を運ばない運送のような業務から自動運転が始まるような気がします。それまでに、自動運転に関わるセンサーやパーツが部品化され、広くその図面が公開されれば多くの人がそれを使ったシステムを設計しやすくなります。
起こりそうな大きな技術とそれに付随する技術を考えてみると、今無いものを想像するきっかけになりそうです。


今足りない何かを考えてみましょう。
それは例えば生活のほんの一部をちょっとだけ便利にしてくれるようなものです。
そういうものが、気軽に作れる環境が整って来れば、「作る」ことがようやく生業になる可能性が出てくる気がするのです。

2014年11月26日水曜日

Maker Faire Tokyo 2014に行ってきた

昨年に続いて今年もMaker Faire Tokyoを見にいきました。
ということで写真で色々紹介。


これは、ハンダを使わなくてもプリンタで回路をプリントでき、抵抗などの部品をセロテーブで貼れば、電子回路が出来てしまうという展示。
未来を感じさせる技術です。


これは家庭内のリモコンをiPhoneに集約してしまうためのデバイス。赤外線のパターンを覚えさせ、wifiでiPhoneから赤外線リモコンの命令を出します。すでに販売をされているみたい。


写真ではよく分からないですが、車輪のスポークにLEDをたくさんつけて、タイヤが回転すると絵が浮かんでくるというガジェット。
人の目の残像現象を使っているので、カメラで撮ると絵にならないのです。

この場にいたBit Trade Oneの代表の方とも初めてお会いすることが出来ました。Bit Trade Oneからは、いろいろな電子デバイスを購入してお世話になってます。


展示のいたるところにあったRapiroですが、この方が本家、Rapiro開発者。Kick Starterでの経験などいろいろお話を伺いました。


自分の好きな場所にスライダーやノブ、スイッチを配置して使うMIDI Controller。DJ系を意識していると思いますが、デザインなどもカッコよくて、いろいろな用途に使えるかも。


パワードスーツみたいな感じだけど、電気は使っていないらしいです。自分の指の動きどおりにロボットの指が動きます。


大垣で会った原田さんのマーブルマシンとLEDバッジ。今回はLEDバッジを購入しました。


光ファイバーを高速で回すと、まるでロクロで陶芸を作っているような、面白いガジェットが出来ます。これは見ていて飽きない感じ。


イベント会場で、明和電機のライブがあったので見にいきました。
久しぶりに明和電気を堪能。確かに、彼らはMakerの走りなんですね。これ以上ない、ゲストだと思いました。

何しろ面白いアイデアの数々で刺激を受けました。
会場には歩くのも苦労するくらいの入場者が入り、本当に大盛況です。
Maker Movementがマニアのものから、社会現象になるのももう少しではないか、という気がしてきました。
来年こそ、出展したい・・・

2014年11月21日金曜日

筐体の3Dプリントが完成

前回の筐体デザインのデータをDMMの3Dプリントサービスで作ってもらいました。
最近、DMMがMakers Movementの後押しをするようなサービスをいくつか展開しており、その動向に目が離せません。私もすでに何回か、3Dプリントサービスを使っています。

今回は実際に3Dプリンタで出力した筐体について、紹介をしましょう。
ちなみに今回の試作品は私は内々にPROTO6と呼んでいます。MagicFluteの6回目の試作ということになります。

以下は、今回注文した全ての部品です。


このうち、吹き口とそれを密閉する蓋は、以下のような凹凸で合体するようになっています。


この中に気圧センサーを閉じ込めて、吹き口内部の空気圧をセンシングします。
吹き口の下部に小さい穴を開けて、吹いたら空気が抜けるようにしましたが、やや風切り音がうるさいのが気になりました。

笛のパイプは、中を覗くと、まさに中空のパイプ状になっています。この筒の厚さは3mmですが、意外と重量感があった印象。


この筒の中に電子部品が入ります。電子部品を取り付ける内部部品と、パイプを並べてみたところです。




笛の先端にはLEDが光る透明の尖った形状のキャップがつきます。

この笛の中に入る電子部品はまだ出来ていませんが、3Dプリントされた部品のみ、合体してみるとこんな感じになります。





組み上げると思っているよりやや大きな感じになりました。
電子部品まで入れた完動品が出来上がるのは、もう少し先のことになりそうです。


2014年11月12日水曜日

Magic Fluteの筐体デザイン

Magic Fluteの新筐体を3D CADでデザイン中。

CADはまだまだ使いこなしているとは言い難いですが、何となく使っているうちに慣れてきました。自分なりの使い方が確立してきた感じです。

というわけで、ここ数日作っていた新筐体のデザインをお見せしましょう。
まずは、リコーダータイプ。



余計な部品も周辺に置いてありますが、それは無視していただいて、一番端にある細長いのが楽器本体。
指で押さえる6つの穴は、円筒に凹みをつけています。リコーダーの先端が丸くなっており、ここがLEDで光ります。


次はオカリナタイプ。


本物のオカリナはもっとズングリしていますが、上のリコーダータイプと共通のデザインとなるようにした結果、随分スリムな感じのオカリナとなっています。
これも、右手側の先端の丸いところがLEDで光る予定。

全長は20cm強くらいの長さとなります。筒の直径は4cm。
円筒のところはいつか木で作れたらかっこいいなと思っていますが、ちょっと加工が難しそうですね。
ということで、次回の試作は、上記のデザインで製作予定です。

2014年11月3日月曜日

mbed用CPUでMIDI出力する基板作成

さて、今回はMagic Fluteの試作の報告。

ただいまRaspberry Piによるソフトシンセ発音版の試作をいったん止めて、mbedで使用しているCPUによるMIDI出力版の試作品を製作中。

これはどういうものかというと、これまでのMagic Fluteの機能はそのままに、その演奏情報をMIDI出力し、既存の電子楽器の音で発音させようというもの。
ですので、MIDIの受け手の電子楽器で音色を変えて、トランペットにしたり、クラリネットにしたり、フルートにしたり、といったことが可能となるわけです。また、リバーブなどのエフェクトをかけることも出来るので、すでに電子楽器を持っている人ならば、すぐに多彩な楽しみ方で演奏することが出来ます。

今までRaspberry Piに繋げていた配線を以下の基板に繋げます。


ちなみにこの基板を配線するために書いた配線図はこんな感じ。(手書きでちょっと恥ずかしいけど・・・)


いろいろ配線は書いてありますが、機能的にはCPU(LPC1114)のシリアル出力をMIDI OUTに繋げ、Magic Fluteから送られてくるI2CをCPUに繋げているだけです。
MIDIが5V系で、CPUが3.3V系なので、いろいろと妙な回路が入っています。
フルカラーLEDはCPUのPWM出力に繋げてあり、Raspberry Pi版と同様、音階によってLEDの色が変化します。

Raspberry Piと違ってmbedのいいところは、何しろ電源入れたらすぐに動くこと。
Raspberry PiはLinuxが立ち上がるまでの時間がバカになりません。またLinux上でアプリを動かすので、組み込み的に使うにはアプリの自動起動のような仕組みが必要です。(私はまだやったことがないので、毎回キーボードからアプリを立ち上げています)

しかし、生粋の組み込みであるmbedは、電源入れたらいきなり立ち上がります。一般コンシューマー向けの商品はやっぱりこうでなくてはいけないと改めて思わされます。

さて、今後の展開としては、この回路を何とかして、Magic Fluteの楽器筐体内部に詰め込み、楽器単体で使える形にすることを目指しています。


2014年10月25日土曜日

AIは人間のように振る舞えない ─身体性の呪縛─

先週の続き。
そもそも人間の意識、知能、知性というようなものは、「人間という容れ物」無しに持ちようがないのではないか、ということを書いてみたいと思います。

「人間という容れ物」とは、端的に言えば、二本の足で歩き、身の回りの作業をこなす二本の手があり、指が十本あり、顔に目と鼻と口があり、というようなことです。
もちろん、AIもそのような身体を作ればいいという意見もあるでしょう。しかし、人間の一生を時系列で見れば、3kg、50cm程度のサイズで生まれ、十数年で大人の身体に成長し、配偶者を探そうとし、子供を産もうとします。次第と身体は老化し、その機能が衰え、最後は必ず死を迎えます。人生のそれぞれの状況で、私たちの考え方は身体の変化に合わせながら少しずつ変化していきます。

私たちの意識は、自分の肉体とともにあり、自分の身体という束縛の中で知能や知性を育みます。運動能力の低い身体を持った人が、スポーツで名を上げるために努力する可能性は低く、そのような身体に束縛された意識は、同様にスポーツにそれほど興味を持たないようになる可能性が高いと思われます。


人は暗闇を恐れます。
このような形質は人間の進化の歴史の過程で獲得されたものと思うのです。
何百万年も前、アフリカで暮らしていた人間の祖先は、肉食の猛獣や、他部族の襲撃にいつも恐れおののいていたはずです。視界が利かなくなる夜には、暗闇に恐怖を覚え、ある程度の緊張感を持って生きていた人々の方が生存確率が高くなり、結果的に暗闇を恐れる遺伝子が獲得されていったと思われるのです。超音波で外界を捉えるコウモリなら、暗闇を恐れる必要は全くありません。

暗闇を恐れる人間は、昼と夜とでその心持ちが変わるはずです。
それが知能の発達した人間の文化的生活に独特な彩りを与えているとも考えられます。夜を恐れる気持ちが、黒いもの、隠れているものに何らかの象徴を与え、そこに闇を表現する文化を育んだとも言えるでしょう。


リチャード・ドーキンスの名著「利己的な遺伝子」にはいろいろと刺激的なことが書かれています。
例えば家族の中でさえ、それぞれの関係において常にある種の闘争があります。
乳児はなぜ大きな声で泣き叫ぶのでしょうか。何百万年前、アフリカで生きていた人類にとって、乳児が泣き叫ぶことで敵に自分たちの位置を知らせてしまう危険性がありました。もちろん、それによって襲撃を受け死んでしまった家族もあったことでしょう。

では、もし泣かない遺伝子を持った乳児が生まれたらどうなるでしょう?
確かに敵に位置を知られる可能性は低くなります。しかし、乳児が泣かなくなると、親はだんだん乳児の面倒を見なくなるようになるでしょう。
親は子供の面倒を見るべきだという道徳的な問題で解決できる話ではありません。子供を持った人には、いつでもどこでもお構いなく子供が泣くことをどれだけ恨めしく思ったか多少は思い出があるはずです。子供が泣くことは、親に面倒を見てもらうための必死の戦術であり、家族や部族の存亡の危機を招いてでも、そのような形質を得たほうが乳児の生存確率を上げたというのが進化的な真実なのです。


このようにして、人間が持っている意識・行動における遺伝的形質は、人間の進化の過程で獲得したものであり、これがまさに人間が人間たる所以だと思うわけです。

今書いたことは、実はAIが人と同じような意識や知能を持ち得る、という可能性を完全に否定しているわけではありません。
しかし、上記のようなことを考えていくと、AIが人間と同じように振る舞うためには、人間の脳内にある遺伝的に獲得した形質を完全に実装し、年齢とともに人間とほぼ同じ性能を持った肉体が成長するように作らない限り、やはり人と同じような意識を持つことは難しいと思われます。

しかし、そのようなことは人々がAIに望むことからすればあまりに過剰な性能であり、現実的にそのようなマシンを作ろうということにはならないのではないでしょうか。

恐らく「人間のように振る舞う」AIとは、人との会話をそれなりに模倣するようなシステムにしかならず、人と人との関係性を作るというには程遠い状況ではないかと思うわけです。
ぶっちゃけ言えば、もうちょっと気の利いたSiriのようなものが、人とコミュニケーションするようなAIの一つの限界ではないかと私は思っています。

2014年10月18日土曜日

AIは人間のように振る舞えない

先日、Twitter上でAI(人工知能)について語らい合う場があり、私も参加していろいろと発言しました。

その中で多くの人が、いずれ人工知能が人間のように振る舞うようになり、人工知能を持った機械が人々の生活を助けるだけでなく、話し相手になったり、介護してくれたり、家族の一員になるような未来を思い描いていました。
確かに、SF小説や映画などでそのような未来はたくさん描写されていますし、小説家が人間性とは何かみたいなテーマを探るには、そんな未来においてAIによるアンドロイド的な存在を扱うことはテーマとしてとてもマッチしています。

しかし、いろいろなことを私なりに冷静に考えれば考えるほど、そのような人間らしいコミュニケーションを取れるAIが生まれるような気がしないのです。
もちろんこういうことを考えることは、意識とは、知性とは、知能とは何か、そして人間的なコミュニケーションとは何か、を問うということでもあります。


やや不謹慎な例を引き合いに出すのですが、あるWeb上の記事で、知的障害者の女性を食い物にしている悪徳業者があり、その女性を助けるために奔走した方の話を読みました。
しかし、その女性に今のあなたがどれだけ酷い状態で、それを正すために法律的にきちんとする方法を説明してもまるで理解できなかったそうです。彼女にとっては、悪徳業者の言っていることの方が納得感があり、それを絶対的に信頼していたのです。そして次回訪ねた時には、もう彼女はそこに住んでいなかったそうです。

なぜ、こんなことを書くかというと、人間同士であっても大きな知能の開きがあれば、まともなコミニュケーションは難しいのではないか、ということです。
むしろ、こういう非対称な関係において機能し得るコミュニケーションとは、服従と庇護の関係です。これはある意味、ペットと同じようなものです。


例えば、あなたとAIが車に乗っていて、あなたが運転しているとします。
仮にAIに道路情報などが入っていなかったとしても、目的地の方向、走っている車の速度や前後の車の距離、信号の状況などは認識できるかもしれません。
そのような状況で、AIは常に隣で運転しているあなたの運転状況が気になり始めます。なぜ、そこで無駄にスピードを出すのか、なぜここで無意味な車線変更をするのか、あなたが運転している途中に雑念が入り、周囲に対する注意がおろそかになることもあるでしょう。
AIが圧倒的な処理能力で、これらの状況を素早く感知でき、さらにそこに人間的な知性が加わったら、AIはどう振る舞うでしょうか?

そのときAIには、あなたがまるで気分で運転し、行動目的やそのための最適化を全く考慮もせず不規則な行動ばかりとっているように見えたりしないでしょうか。
そして、そのときにAIの心に浮かぶ感覚は、目的地に最適に着こうとするなら、こういう行動を取らなければいけないと相手に何とか伝えたい、という気持ちです。しかし、そのようなことが度重なると、それは結果的に能力のある人が、ない人を諭すような関係を作り上げると思います。

我々も普通の生活の中で、あまりにも何かが上手くできない人を見るとイライラが募り、ときには「このときは、こうするって前も言ったでしょう!何でできないの!」とかついに怒ったりするかもしれません。
こういうことが、何回も重なるにつれ、怒ることに意味のないことを悟った人は、うまくいかない人に無理な仕事を与えなくしたり、教える時にも常識的なことも含め何度も根気よく教えざるを得なくなります。
そのようなときに生じる人間関係は、やはり先に書いた通りの服従と庇護のような関係を作り始めるような気がするのです。


多くの人は、家族の中に安楽な人間関係を求めます。
家族というのはたいていの場合、血のつながりがありますし、配偶者も気が合うから結婚しているわけで、そこに集まる人々の知性には大きな開きはありません。

そのような中で家族のように一緒に暮らせるようなAIの知能、知性というのは、やはりその家族並みの知能、知性でしかあり得ないと私は思います。

そして、わざわざ人間以上の演算能力を持つコンピュータが、人間程度の知性しか発揮できないようなシステムとして設計されるということは、技術的にかえって難しいことのように思えますし、そもそもAIを生活のアシスタントとして機能させたいのですから、そのような設計は目的として矛盾してます。

私はむしろ、AIに生物的な欲求を植え付けて、人間のような知性を目指すようなシステムを作るべきではないと考えます。
もし、そんなことをして、それが上手くいったなら、人間には似ても似つかないとんでもない怪物になってしまうような気がするのです。

そして、もっと正直に言うと、そんなものは作れないとも思っています。その話はまた次回(?)に。


2014年10月12日日曜日

Raspberry PiのSound Box完成

Hamamatsu Music Messe以来、mbedに浮気して、ちょっと放置気味だったRaspberry Pi。
このMagic FluteのRaspberry Pi版をひとまず形にするべく,アクリル板と3D Printによる骨組みを作って、笛以外の部分の、私がSound Boxと呼んでいる部分を製作してみました。



見た目はこんな感じ。

筐体は透明のアクリル板。アクリル板のカットと穴開け用の寸法図面を作って、ネット上のカットサービスに図面を送って作ってもらいました。
このアクリル板を繋げているのが白い棒状のようなもの(以下、スペーサーと呼びます)。このスペーサーがこの箱の骨組みとなっています。
スペーサーにはネジ穴の先に四角ナットが埋め込めるようになっていて、穴の開いたアクリル板をネジで留めることが可能になっています。
こんな特定用途向けの、独自寸法の独自な形をしたものを作るのはやはり3Dプリントサービスが最適。こういうのを作って上手くいくと、家庭内の細かい小物など色や材質にこだわらなければどんどん3D Printerで作りたくなりますね。

この筐体の中にRaspberry Piとスピーカーと小型アンプ、それからバッテリーをひとまとめにしました。
左側にあるのがRaspberry Pi、スピーカーの上にはMagic Fluteへの接続コネクタやスイッチ、LEDなどがある簡単な外部回路、そして右側にある黄緑の物体がバッテリーです。

もちろん、これまで作ってきたMagic Fluteを接続して音を鳴らすのですが、別にMagic Fluteだけでなく、Raspberry Piを使った汎用のSound Boxとしても利用できると思います。



こちらが左側からみた様子。
Raspberry Piがタテに置いてあります。まだ固定してないので、アクリル板の上に直接Raspberry Piに挿されたSDカードが接して、Raspberry Pi全体を支えている状態。


これは、Sound Boxに臓物を入れる前、スピーカーとアンプのみを取り付けて、ハンダ付けした状態。
ちなみにアンプはSwitchScienceで販売しているコレ
実際に鳴らしてみると、思っていたより音量が小さくてちょっと残念でしたが、まあ性能的にはそんなところでしょう。バッテリー容量も大きくはないので、これでひとまずの完成形としたいと思います。


これで、Raspberry Piを利用して音を出す環境が何のケーブルも繋げずに持ち運べるようになりました。



2014年9月27日土曜日

動かせる楽器と動かせない楽器

楽器と一括りに言っても、いろいろなタイプの楽器があり、それぞれの特性に応じて使用される場所や準備が異なります。
その中でも特にその楽器が動かしやすいかどうか、というのは楽器の特性に大きな影響を与えます。以下では動かしにくい楽器について、いくつか例を挙げて考えてみましょう。


持ち運べないと言ったら、建物と一体化しているパイプオルガンがまず思い浮かびます。
パイプオルガンは教会やコンサートホールを作るときにセットで設計され、一つ一つがほぼオリジナルの設計になります。
場所と一体化しているので、そのサウンドもその場所にオリジナルです。
最初からオリジナルであることが分かっているので、パイプオルガンは標準化された仕様というのがほとんど無く、場所によってパイプの種類や数が違います。特に教会では、演奏するオルガニスト自体がその楽器に専用の演奏者となっていることが多いと思います。
逆にコンサートホール等の場合は、演奏前にその曲をどういったパイプの組み合わせ(レジストレーション)で演奏するか事前に検討する必要があります。
動かせないから特殊化し、そのため標準化も進まず、演奏者がその楽器固有の対応をしなければならない、ということがパイプオルガンの事例から分かります。

建物と一体化していなくても、気軽に持ち運べない楽器と言えばグランドピアノでしょう。
ところがピアノはパイプオルガンと違い、世界中にあまねく普及し、標準化が進んだので、音楽を演奏するどのような場所でも標準装備されていることが多く、むしろそのためにわざわざグランドピアノを運ばなくても良い、というような状況になっている側面もあると思います。
こだわりのある一部のトッププロは自分のピアノを運ぶ、というようなことも聞いたことがありますが、それなりに繊細な楽器なので頻繁に運ぶことで受けるダメージを考えると、ホール等に備わっているピアノを使うというのが、少なくとも日本では一般的であるような気がします。
従って、グランドピアノは移動は出来るけれど、楽器そのものを運ぶことは購入時以外にはまるで考えられていないように思われます。

動かせないわけではないけれど、その設置に非常に手間がかかり、一人で持ち運べるというには程遠い楽器もあります。例えばドラムセットとか、ハープとか、チェンバロといった楽器類です。
こういったやや大型でセッティングの必要な楽器は、演奏者だけでなく運搬や設置を行なう専門の担当者が必要になったりします。
とは言え、ホールで常備するほど一般的ではなく、また奏者に依存する部分も多いので、こういった楽器は演奏の機会毎に移動せざるをえません。
ある程度演奏団体として態勢のしっかりした団体では、このような楽器のケアも可能ですが、個人単位では中々難しく、それゆえにこういう楽器はその特性ゆえアマチュアで演奏する人というのが非常に少なくなる傾向にあります。
ドラムも、バンド系楽器の中ではギターやキーボード人口に比べると、やはり少ないんじゃないでしょうか。


実は上記のような持ち運びにくい楽器こそ、電子で解決し易いというメリットがあります。こういった楽器類が電子楽器になりやすいというのは、オリジナルの楽器の特性が非常に影響していると思われるのです。

逆に小さくて持ち運び易い楽器はむしろ電子楽器で代替する必要性は少なく、だからこそ、オリジナルに似させるメリットもないという考え方も出来るでしょう。

電子楽器でどんなに面白いことが出来るかを考える際、こういったアプローチも必要かと考えています。

2014年9月21日日曜日

Raspberry Piからmbedへ

これまで私のmake活動はずっとRaspberry Piとともにありました。
おかげさまで、ちょっとばかりLinuxの世界に触れ、いろいろお勉強になったのは確かです。

Raspberry Piのように、小型のボードコンピュータやそのプラットフォームには、いまやいろいろな種類があるのですが、その中でどちらかというとCPU性能的には低いプラットフォームであるmbedに最近注目しています。


もともとは、OMMFのときにmbedを使っている人がいて、そこで初めて名前を知ったのですが(多分、これまでも耳にはしていたとは思うけど)、あらためて調べてみるとmbedはかなり魅力的かつ興味深いプラットフォームです。

何といっても、開発環境に全く苦労が要りません。
webでコーディング&コンパイル。出来たファイルをドラッグ&ドロップでUSBストレージのように見えるmbedに重ねればすぐに実行開始。
Linuxとか一切関係ないので、起動も速いし、何しろ余計なものが一切ありません。

Raspberry Piの場合、デスクトップコンピュータとして使われることを目指していることもあり、一通りのOSの起動と、キーボード入力、モニター出力が標準でしたが、mbedの場合(恐らくArduinoも)そのような使われ方を意図していません。
あくまで、ポートにスイッチやLEDを繋げ、各種センサーをシリアル通信で繋ぎ、組み込みマイコンとして使うことを想定されているわけです。

だから私のようにmake的なガジェットとして使う場合、むしろこちらのほうが便利な場合も出てきます。


私が今回mbedを試してみようと思ったのは、BLEを搭載しているこのボードを使いたかったから。
BluetoothはBLEでこれからかなりブレークしそうな勢い。もとよりAndroidもiOSも対応しているので、携帯デバイスとも親和性が高いです。

ようやくmbedのボードを手にした段階で試してみるのはもうちょっと時間がいりますが、いろいろ面白いことが出来るのではないかと期待しているところです。

↓私が買ったmbed HRM1017(かなり小さい)


2014年9月13日土曜日

人はなぜ楽器を弾くのか ー鑑賞としての演奏ー

楽器演奏者を趣味層、本格層と分けて、趣味層の嗜好と彼らへのアプローチについて前回書いてみました

今回はさらにこの趣味層の気持ちについて考えてみようと思います。

というのは、これは私の息子を見ていて思い付いたのですが、楽器を弾きたいということは、音楽鑑賞の一つの形態だと考えられるのではないかと感じたからです。


これまで音楽を聴くこととと楽器を演奏することは、行動としては全く別のものなので、漠然とその心持ちは違うものと思っていたのです。

ところが、息子の行動パターンを見ていると、「音楽を何度も聴く」→「その曲を歌う」→「その曲の伴奏があると一緒に歌いたくなる」→「楽器を弾いているのを見て、その旋律を弾きたくなる」という流れがごく自然なものに思えてきました。
つまり楽器演奏の入り口は音楽鑑賞と続きの関係にあるのではないかと考えられるのです。



音楽鑑賞から自らが音楽を生み出すまでの流れを図にしてみました。

ある音楽が気に入ったとき、その人はその音楽を何度も聴くと思います。
何度も聴いているうちにその音楽を口ずさむようになります。
もし、幸いなことにその人の周辺に楽器があり、弾きたくなるような環境にあるのなら、その楽器でメロディを奏でたくなると思います。

メロディを楽器で弾くことによって、音楽は頭の中で(演奏情報として)コード化され、音楽の再現性が飛躍的に高まります。
このような経験を重ねることで、気に入った音楽を何度も自分で反芻できることの喜びを感じ、その結果メロディはより強固にその人の心に刻まれることになることでしょう。

また、楽器演奏を重ねることによって、体系的にでなくても、その音楽に潜む気持ちの良さ、あるいはその音楽の特徴をつかむきっかけに繋がります。
3拍子とか4拍子とか、リズムの種類とか、転調とか、変化音とか、こういうことを感覚的に覚えていくわけです。

このようなことを理解できた人は、それを自分のさらなる演奏向上に結びつけようとしたり、それを応用してオリジナルな世界を追究しようとするのではないでしょうか。


楽器演奏の趣味層の入り口は、気に入った音楽のメロディを楽器でなぞることにある、というのが今のところの私の結論。

もし、そうであるとすると、入り口では単旋律のメロディを弾けることが重要と意識することによって、楽器入門のあり方がもっとクリアになってくるような気がしてきました。





2014年9月1日月曜日

人はなぜ楽器を弾くのか ─趣味層と本格層─

一人で弾いて楽しむだけの人、他の人に聴いてもらうために演奏する人、楽器を弾く人をこのように分けるなら、圧倒的に多数の人は前者に属します。
ひとまず前者を趣味層、後者を本格層と呼ぶこととします。

趣味層は大多数ではあるのですが、この人たちの行動パターンは本格層の動向に左右されます。演奏についてはある種のヒエラルキーがあり、必ずしも大多数の意向が反映された楽器が売れるわけではありません。この辺りは、芸術に属するビジネスの難しいところではあると思います。

前回、この話をブログに書いたときは、趣味層だけでなく本格層にリーチするような厳しい世界に耐えうる楽器であることが必要ではないか(ちょっと違う表現ですが)といったようなことを主張しました。

とは言え、大多数の趣味層にとっても重要なアプローチはあるのかもしれない、という視点で今回は考えてみたいと思います。


まず、その楽器の敷居の高さは趣味層、本格層の比率に大きな影響を与えると思います。
敷居の高さをもう一段階噛み砕いて言うと、最初に楽器を手にしたとき、いきなりまともな音が出せる楽器かどうか、ということです。
マウスピースを使う金管楽器は、初心者には最初は音が出せません。ヴァイオリンも弓を均等に弦にあてることが難しく、まともな音が出せません。なおかつフレットが無いので、音程も全くコントロールできないでしょう。
それに比べると、鍵盤楽器やサックスなどの楽器は、ただ音を出すだけなら最初のハードルは低いです。

敷居の低さは楽器人口に直接的に影響すると思います。
ピアノやサックスはやはり演奏人口が多いですし、管弦楽器となると桁は一気に下がる気がします。
単に商売のことを考えるなら、敷居が低い楽器のほうが圧倒的に有利でしょう。
敷居の高い楽器は楽器人口が少なくなるので、楽器も高価となり、余計やる気のある人しか買わなくなります。楽器人口内の本格層の比率が高まります。
逆に敷居の低い楽器は、初心者が多くなるので、楽器はコモディティ化しやすくなり、ますます多くの人が練習を始め易くなっていきます。


それから、その楽器が単独でよく使われるものか、アンサンブルを前提としているものかでも趣味層と本格層のあり方に影響を与えることでしょう。
吹奏楽器は単音ですから、実際に音楽に使われる際はアンサンブルになることがほとんどです。このような楽器において、一人で趣味で弾くということはあまりあり得ません。
その一方、ギターやピアノのようなコードを弾ける楽器は一人でも音楽になりやすいので、趣味層が多いと言えると思います。


それぞれの楽器はそれぞれに特徴があり、何が良いか悪いか、というようなことを言うつもりは無いのですが、楽器をビジネスとして考えたとき、たくさん売れる楽器が欲しければ趣味層にアプローチせざるを得ません。

上の考察からは、少なくとも趣味層には演奏の敷居が低くて、一人で音楽全体を演奏できるような楽器が好まれると思います。

あるいは、アンサンブル向けの楽器であったとしても、上のような条件をうまく考えて楽器設計を行なえば、趣味層を取り込むことも出来るかもしれません。
新規性の高い楽器を作って、ビジネスでそこそこの売り上げを出すために(音楽文化的にやや邪道であったとしても)いろいろな工夫をすることが出来るのではないでしょうか。

2014年8月24日日曜日

OMMF2014で感じた未来

Ogaki Mini Maker Faire 2014が盛況のうちに無事終了。
私も二日間、Magic Fluteを吹き続け、そして何人もの方々に説明をしました。たった一人での参加でしたから、もしかしたら誰か説明を聞きたかった人を逃してしまうかもしれないという気持ちで、トイレに立つ時間さえ惜しく感じ、ずっと自分のブースに貼り付いていました。
もう少し他の出展者のものも見たかったのですが、それより自分の出展のほうが気になってしまったというのが正直な気持ち。
ちゃんと見れなくてもったいないという気持ちも半分ですが、それ以上に自分の作品の紹介が出来たという満足感もあります。(写真は私のブース)



このイベントの来場者はかなりの人数だったと思います。
会場全体は大変盛況でしたし、一部のブースはいつも人だかり。アトラクションとして大変面白いものもあったようです。(3D影絵は見たかった。みんな面白かったと言ってたので)

実際のところ、私のブースは必ずしもお客が多かったわけでもなく、かなり長い時間は一人でただ座っていたのですが、それでも注意を惹こうと延々と笛を吹いていました。
何人かの方は興味を持ってくれて、私の説明を聞いてくれました。さらに何人かは、お客様にも関わらず自分の想いを語ってくれた方もいて、いろいろ面白い話を聞けました。
あと、IAMASの学長さんとか、某楽器メーカーの社長さんとかも展示を訪れてくれたのは良い想い出(!?)となりました。

土曜の夜の懇親会では、同じく浜松から出展されていた方々といろいろと親しく話をすることができ、またその他の出展者の方の話を聞けて、これまた大変刺激を受けました。
Denhaさんが語ってくれたシンセ話は大変マニアック。未だにこういったシンセマニアの方々が日本中に点在しており、ウン十年前にシンセにワクワクした気持ちをMakerとして再び甦らせようとしているのです。改めて、電子楽器とMakerがとても相性が良いと思わされました。



二日目は、近くで「音で制御するラジコン」を出展されている方と突発的にちょっとコラボすることになりました。私がMagic Fluteを吹いて、ラジコンを制御するという実験をしてみたのです。
いろいろと試行錯誤した結果、最後は何とか私の笛でラジコンが制御できるようになりました。機材の関係で、実際に走らせたわけではありませんでしたが、そんな突発のイベントが起きるのが、こういう場の面白いところ。


会場は若い方、女性も大変多く、Maker Faireがオタクの祭典とは違うノリであることを思い知らされました。若い人からすれば、Maker Faireに出ることはちょっと先端を走っているカッコいいこと、なのではないでしょうか。
これこそ十数年後の未来を占うようなムーブメントなのではないかという気持ちを新たにしたのです。


長年参加されている方には、新参者が何言ってんだ〜と思われそうですが、好きで何かを作っている人たちが持っている熱気こそ、今我々の社会で失われている何かを補完する力を持っているような気がするのです。
まだ、ほとんどが個人の趣味でやっているものなのでしょうが、これがある段階で組織のアウトプットを凌駕するような力になるのは、時間の問題のような気がします。

そして、時代の主役は企業から、個人に移っていくのでしょう。
そういう未来をかなり確信することが出来た二日間でした。


2014年8月16日土曜日

OMMF2014に出展します

一週間後に迫ったOgaki Mini Maker Faire 2014(OMMF2014)に出展します。
Maker Faireとは、個人でモノ作りをしている人が集まって、それを披露しようというイベント。もともとアメリカ発祥のイベントで、出展するものは基本的には何でもアリですが、日本の場合、比較的電子工作系の作品が多いようです。
OMMF2014のサイトはこちら

私が出展するものは、もちろん、今までこのブログで紹介してきた「Magic Flute」です。
Maker Faireは今回が初めての出展なので、いまから大変楽しみにしています。たくさんの出会いや刺激があることを期待しています。

今まで、OSC浜名湖や、浜名湖メイカーズミーティングでは「浜松手作り電子楽器クラブ」というクラブ員1名のアヤシい団体名を名乗っていましたが、今回よりさらにアヤシさパワーアップで「奇楽堂(きがくどう)」という屋号で活動することにしました。

以下に関連するページを紹介しておきます。
奇楽堂のサイト
MakersHubのMagic Flute紹介ページ

もしOMMF2014に来られる方がいましたら気軽に声をかけてください。
Magic Fluteの生演奏も行ないます!




2014年8月10日日曜日

人はなぜ楽器を弾くのか

楽器を売る立場として、どのような楽器が売れるかは良く考える機会があります。
しかし、どうも私の想いは、一緒に考えようとする人たちの想いと少しずれることが多いのです。

私自身は日々楽器には触っているものの、人前で弾くような機会は無いので、必ずしもハイアマチュアとは呼べないレベルではあるのですが、それでも音楽の厳しい側面は知っているつもりです。
だから「楽器を弾く」ということに、何かひたすら楽しく、健全な印象を持っている人が多いことにやや違和感を抱くのです。


ほとんどの音楽愛好家にとって、楽器を弾いている時間は練習している時間です。
だから、楽器を練習するということはどういうことか考えれば、多くの人が望む楽器やサービスが思い付くような気がします。

しかし、どのような楽器が欲しいか、というお題でブレストすると、多くの人は一緒にアンサンブルして楽しいとか、簡単に曲が作れるとか、勝手に最適な音色が選ばれるとか、やや都合のいい意見ばかり出てきたりしてしまいます。

しかし、そもそも私たちはなぜ楽器を弾くのでしょう?
誰のために楽器を弾くのでしょう?
自分のため?他人のため?
自分の身近な人のため?会ったことも無い人のため?

確かに音楽を聴いて気持ちいいと思ったり、自分で弾いてみてさらに曲が好きになったりして、それをただ再現しようとするだけで楽しいのは確か。
ほとんどの人は、ただ自分のため、自分が気持ちいいと思う快楽のために楽器を弾いているのかもしれません。

しかし、そこに人が絡んでくると話はちょっと変わります。
新しく絡んできた人は、あなたの演奏を聴いてくれる人でしょうか?
それとも一緒に楽器を弾いてくれる人でしょうか?

いずれにしても、もう一人関わる人が増えることによって、楽器から奏でられる演奏そのものの質が何らかの意味を持ち始めます。
曲をうまく弾ければ、「スゴい!」と褒めてくれるかもしれません。しかし、そういう評価をもらうためにはそれ相応の練習が必要です。
他人とのアンサンブルをするのなら、相手に失礼にならない程度の譜読みを事前にやっておくべきでしょうし、あまりに下手だとアンサンブルの場にも微妙な空気が流れます。
逆に十分に演奏が上手い人には、練習する必要さえない場合もあるでしょう。そこには歴然とした実力の差が存在するわけです。

そうやって、自分一人の快楽で楽しんでいた楽器演奏が、他人が絡むことによって「練習」と「評価」というただの快楽で済まない要素が必ず現れます。
そこには、誰でも弾いて楽しめる、という夢のような世界はないのです。


それでも、楽器を買ってくれる多くの人は、一人で演奏して、自分の快楽のためだけに弾く人がほとんどです。
楽器を売るのなら、このような人たちの感覚を無視するわけにはいかないのですが、音楽文化は楽器を人に聴かせるための厳しい世界にいる人たちこそがドライブしていることは忘れてはいけません。

楽しい世界と人に評価される厳しい世界、両輪を理解することでより深みのある楽器が生まれてくるのではないかと思います。

2014年8月2日土曜日

Magic Flute動画作成

楽器を作っているのなら、音を聴いてもらわねば評価をしてもらうことはできません。
ということで、恥ずかしながら、Magic Fluteの演奏動画を一つ作成しました。



曲は「故郷」です。
ピアノ伴奏は私がアレンジしたものです。メロディがシンプルなので、伴奏は若干凝ってみました。

笛の音は単なるサイン波なので、やや単調な感じは否めませんね。もう少し華やかな音を目指すのか、演奏表現を増やしていくかはまた少しずつ考えていきたいと思います。

全然顔が見えないって?
やっぱり少しくらい吹いている様子は見せても良かったかなあ・・・

2014年7月27日日曜日

「作る」の未来

本日、浜松の鴨江アートセンターで開催されたドキュメンタリー「Maker」の上映会に行ってきました。
上映時間は1時間ほど。70人くらいは集まっていたのではないでしょうか。
今日はFablab浜松の立ち上げということもあり、会場全体いい感じに盛り上がっていたと思います。


このドキュメンタリーでは、人はそもそも一人一人が何かを作ることが好きなはずで、3Dプリンタなどの技術のおかげで、昔のように再び個々人が自分の好きなものを作るような時代になるはずだ、ということを主張しています。
企業によって工場での大規模な製造でモノが作られるようになったのはせいぜいここ数十年のこと。人々が単調な工場労働で大量に同じものを作る時代をやや揶揄しながら、最近のMakers Movementに対して「作る」ことが民主化され始めている、という表現をしています。

「民主化」というと、日本では政治的な意味をすぐに思い浮かべますが、英語ではもうちょっとニュアンスが違うのでしょう。
特定の人たちしか出来なかったことが、誰でも出来るように解放されることが、このドキュメンタリーの中で語られる「民主化」の意味なのだと思います。
そして私にとって、このドキュメンタリーで最も重要なキーワードは「民主化」だと感じたのです。


ここで登場した「作る」人たちは本当に生き生きとしています。
ザリガニのオーケストラとか何だか意味不明だけど、バカバカしくて面白い。そういった思いつきでいろいろ作ってしまおうという熱気は、企業の商品開発計画では絶対に作り出せないものです。
そういう意味で、Makers Movementが徹底的に個人の楽しみであるということが、とても重要だと思うのです。さらに「作る」ことがナンセンス化してくることによって、アートにますます近づいていくようにも思えます。

何回か書いていますが、私たちは最後には一人一人が独立したアーティストであるべきなのです。
「作る」の民主化は、人々が自由に何かを作れるようになるという可能性の未来ということだけでなく、一人一人がアーティストとしての矜持を持った個人であらねばならないという厳しい現実を突き付けるかもしれません。

あるいは、もしかしたら「作る」人たちは、実際の人間のごく一部であり、本当に何かを作りたい個人が「作る」人として活躍できるような未来になるのかもしれません。
いくら誰でも作れる未来になっても、本当に作ろうと思う人たちは一握りであるとするなら、Makers Movementはもっと社会的な効率性とか役割分担とかそういう議論とシンクロしていく必要があるでしょう。

実際には私も、誰もが作りたい人、ではないかもしれないと思っています。
それでも、作りたいけれど才能が無いから諦めている、という人たちは作りたい人予備軍であり、作りたい人は意外と多いのかもしれない、という全く別の可能性もあります。


まだまだ、Makers Movementの結末は誰にも分かりません。
それでも彼の地アメリカでは、多くの作る人が頑張っています。この映画でそれを垣間みて、未来がまた楽しみになってきました。




wa

2014年7月20日日曜日

加速度センサに挑戦

またまた電子工作ネタです。

ただいま試作中の電子吹奏楽器"Magic Flute"に加速度センサを取り付けました。
加速度センサは回路的にはI2Cバスにただ繋ぐだけ。あとは、Raspberry Pi上で動くプログラムからこのセンサにアクセスすれば、加速度情報が得られます。

下の写真が今回の試作品の回路に組み込んだ加速度センサです。





ところで加速度センサとは一体何を検出するものでしょうか。
もちろん加速度センサでは加速度が検出できるわけですが、日々の生活で加速度といって思いつくことは少ないかもしれません。
せいぜい思いつくのは自動車の急発進検出くらいでしょうか。ちょっと非日常となると自動車で事故った瞬間にも大きな加速度が検出出来ますね。

ところで一般相対性理論によると重力は加速度と等価です。つまり加速時センサはそのまま、重力センサとなるのです。3つの次元にこのセンサを配置すれば、物体の傾きが計測できます。
また、重力がない状態、つまり自由落下状態であることも検知できます。

実際、加速度センサのマニュアルを読むと、X軸、Y軸、Z軸の加速度(重力方向との角度)を検出出来るだけでなく、センサがパルス上の加速度を検出し、シングルタップ、ダブルタップとして検出するとか、非常に大きな加速度が検出された場合の設定とか、自由落下状態の検出などが機能として入っています。
自由落下というと人工衛星の落下くらいしか想像できないと思いますが、もっと短時間なら普通にモノを落としたときも自由落下状態になります。例えば、ハードディスクを衝撃から守るためにこの加速度センサの自由落下検出が使われているようです。


さて、MagicFluteでは、このセンサを傾き検出に使います。
今のところ、傾きでビブラートの深さを変化させようと考えています。笛を吹いているとき、笛の角度が水平になっているとほぼノンビブラート、笛をほとんど垂直にするとビブラートが一番深くなります。
このような吹き方が演奏者にとって感覚的に合うものかは、実際にプログラムを作って試奏してから検討しようと思っています。

今回もRaspberry Piでこの加速度センサADXL345を使うときの、デバイスをアクセスする部分のプログラムを紹介しましょう。
正直、プログラムを使ってもらうように披露するというより、間違っている部分を指摘してもらうつもりでプログラムは公開しております。
内容は全く保証しないので、ご承知おき願います。



//-------------------------------------------------------------------------
//   ADXL345 (Acceleration Sencer : I2c Device)
//-------------------------------------------------------------------------
// for Acceleration Sencer
#define ACCEL_SNCR_PWR_CTRL   0x2d
#define ACCEL_SNCR_DATA_FORMAT  0x31
//-------------------------------------------------------------------------
void accessADXL345( void )
{
 int  address = ACCEL_SENSOR_ADDRESS;  // I2C
 
 // Set Address
 if (ioctl(i2cDscript, I2CSLAVE_, address) < 0){
  printf("Unable to get bus access to talk to slave(ACCEL)\n");
  exit(1);
 }
}
//-------------------------------------------------------------------------
void initADXL345( void )
{
 // Start Access
 accessADXL345();
 writeI2c(ACCEL_SNCR_PWR_CTRL,0x08);   // Start Measurement
 writeI2c(ACCEL_SNCR_DATA_FORMAT,0x04);  // Left Justified
}
//-------------------------------------------------------------------------
void getAccel( signed short* value )
{
 unsigned short tmp;
 
 accessADXL345();
 tmp = readI2c(0x32);
 tmp |= readI2c(0x33) << 8;
 *value = (signed short)tmp;

 tmp = readI2c(0x34);
 tmp |= readI2c(0x35) << 8;
 *(value+1) = (signed short)tmp;

 tmp = readI2c(0x36);
 tmp |= readI2c(0x37) << 8;
 *(value+2) = (signed short)tmp;
}

2014年7月13日日曜日

日本人という遺伝子

最近社会が劣化しているとしか思えないような事件がたくさん起きています。(佐村河内、小保方、ヤジ議員そして号泣議員・・・などなど)
そこには何かを起こすアヤしい人の存在があるのですが、そのアヤしい人をうまく扱えないばかりか、そういう人に翻弄されている組織という構図も垣間見えます。何しろ、問題なのはそのような事件に際し、組織の幹部の人たちが事件を適切に処理できないことです。
今回はやや抽象的なテーマですが、昨今の社会の劣化と、日本人が本来もっている遺伝子とどういう関係があるのだろうか、と自分なりに考えてみたいと思います。


日本は何千年という間、海に守られ、国そのものが存亡の危機に瀕することがほとんどありませんでした。
多くの人が指摘するところですが、このような環境において、純粋な実力主義よりも形式や権威を重んじ、上下関係をはっきりさせる独自の文化が形成されたものと思われます。

このような集団の場合、トップに大変決断力があり、強引豪快な力を持っていると、その力は人数以上に倍加され、集団が大変なパワーを発揮します。
ところが、外部環境が安穏としてくると、過激な改革者よりも実務者がトップに立つようになり、ロジックで人が動かない分だけ、むしろ組織のパフォーマンスは大きく下がるような気がするのです。

勝手な推論ですが、日本の軍隊は日清日露戦争時代、まさに列強に追いつけ追い越せというスローガンの元、明治維新を生き抜いた豪快なリーダーに率いられ、すごい力を発揮したのではないかと思います。
ところが、それから40年経つ頃には、日本の軍部はそのような実力者ではなく、実務者や実力のない強弁家に侵されていきます。以前こんな本を読みましたが、太平洋戦争では単に物資の力の差だけではなく、日本軍の組織力自体がだいぶ弱っていたように見受けられます。
それは今、日本の企業を覆う閉塞感にとても似ているのです。

本当に日本人は本質論より感情的で感覚的なその場の議論が好きなように見えます。あるいは、本質論を話し合うべき場所に、そういう人材が揃っていないように見えます。
私の思うに、日本以外の先進諸国は絶えず戦争と戦乱に明け暮れていたため、組織や民族全体の遺伝子が、本質論を語るべき場にそれを語るにふさわしい人が集まるような仕組みを作り上げているような気がします。
日本では数千年の間、そのような必要がなかったため、組織を常にそのような状態にもっていく仕組みがとても弱いのです。

私は日本人の「本質論」嫌いには本当に閉口するのですが、それが民族の構成員に刻まれている遺伝子だとすると、仕方がないとあきらめるほかはありません。
そう考えると、明治維新のときのように、そして戦後の復興のときのように、新しく日本をゼロから作り直すような機会が訪れ、そこに実力者が強引に人々を引っ張っていく、そういう社会が到来するのを待つしかないのかもしれません。


今後日本が、明治維新や太平洋戦争での敗戦のような大きな挫折を味わうのでしょうか。
私のような素人が思うには、それは国債暴落やそれに伴うハイパーインフレではないかとついつい考えてしまいます。
ハイパーインフレがおこれば、相対的に今お金を持っている高齢者が貧乏になり、お金で保っていた権威が消滅します。このようなときに始めて、年齢性別無関係に力のある人が世の中に出てくる可能性が見えてきます。

本当にそんなことが起こったら社会へのインパクトは相当に大きく、かなりの人々の人生を狂わせることになるのは確かでしょうが、それでもこの閉塞感をグレートリセットして、もう一度日本が再生するにはそれしか手がないのではないかと思ったりするわけです。

2014年7月5日土曜日

Adafruit 8×8 LEDをRaspberry Piで使ってみた

今回は完全に電子工作マニアブログと化しています。

Adafruitの8×8のLED Matrixを購入。I2Cでコントロールするデバイスです。
商品はこちら

この部品のI2Cのコマンドを叩くためのマニュアルを探したのですが、Arduino用のサンプルコードしか見つかりません。
そこで、そのコードを見ながら、自分のRaspberry Pi環境にかなり強引に移植してみました。内容は全然保証しません。もし変なところを見つけたら教えて下さい。

このコードで、LEDを使ってひらがなの「ま」という文字を出してみたのが以下の写真。



ということで、サンプルコードを以下に示します。
mainのプログラムから、initAda88() を呼んだ後、writeMark() を呼べばいろいろなパターンを書けます。


#include <stdio.h>
#include <stdlib.h>
#include <string.h>
#include <sched.h>
#include <errno.h>
#include <getopt.h>
#include <fcntl.h>

#include <linux/i2c-dev.h>

#include <sys/ioctl.h>
#include <unistd.h>
#include <math.h>

 #define  I2CSLAVE_ I2C_SLAVE

//-------------------------------------------------------------------------
//   Variables
//-------------------------------------------------------------------------
static int i2cDscript;       // file discripter

//-------------------------------------------------------------------------
//   Constants
//-------------------------------------------------------------------------
static unsigned char LED_ADA88_ADDRESS = 0x70;

//-------------------------------------------------------------------------
//   I2c Device Access Functions
//-------------------------------------------------------------------------
void initI2c( void )
{
    const char *fileName = "/dev/i2c-1"; // I2C Drive File name
 
 // Pressure Sensor
    printf("***** start i2c *****\n");
 
    // Open I2C port with Read/Write Attribute
    if ((i2cDscript = open(fileName, O_RDWR)) < 0){
        printf("Faild to open i2c port\n");
        exit(1);
    }
}

//-------------------------------------------------------------------------
//   Adafruit LED 8*8 matrix (I2c Device)
//-------------------------------------------------------------------------
#define HT16K33_BLINK_CMD 0x80
#define HT16K33_BLINK_DISPLAYON 0x01
#define HT16K33_BLINK_OFF 0
#define HT16K33_BLINK_2HZ  1
#define HT16K33_BLINK_1HZ  2
#define HT16K33_BLINK_HALFHZ  3
#define HT16K33_CMD_BRIGHTNESS 0xE0
#define MATRIX_MAX 8

//-------------------------------------------------------------------------
void accessAda88( void )
{
 int  address = LED_ADA88_ADDRESS;  // I2C
 
 // Set Address
 if (ioctl(i2cDscript, I2CSLAVE_, address) < 0){
  printf("Unable to get bus access to talk to slave(LED Matrix)\n");
  exit(1);
 }
}
//-------------------------------------------------------------------------
void writeAda88( unsigned char* bitPtn )
{
 unsigned char buf[MATRIX_MAX*2+1];
 int  i;
 
 buf[0] = 0;         // Commands for performing a ranging
 for ( i=0; i<MATRIX_MAX; i++ ){
  buf[i*2+1] = *(bitPtn+i);
  buf[i*2+2] = 0;
 }
 
 if ((write(i2cDscript, buf, MATRIX_MAX*2+1)) != MATRIX_MAX*2+1) { // Write commands to the i2c port
  printf("Error writing to i2c slave(LED)\n");
  exit(1);
 }
}
//-------------------------------------------------------------------------
void initAda88( void )
{
 unsigned char bitPtnClr[MATRIX_MAX] = {0x00,0x00,0x00,0x00,0x00,0x00,0x00,0x00};
 unsigned char cmd;
 
 accessAda88();
 cmd = 0x21;
 if ((write(i2cDscript, &cmd, 1)) != 1) {   // Write commands to the i2c port
  printf("Error writing to i2c slave(LED)\n");
  exit(1);
 }

 cmd = HT16K33_BLINK_CMD|HT16K33_BLINK_DISPLAYON|(HT16K33_BLINK_OFF<<1);
 if ((write(i2cDscript, &cmd, 1)) != 1) {   // Write commands to the i2c port
  printf("Error writing to i2c slave(LED)\n");
  exit(1);
 }

 cmd = HT16K33_CMD_BRIGHTNESS | 0x0f;
 if ((write(i2cDscript, &cmd, 1)) != 1) {   // Write commands to the i2c port
  printf("Error writing to i2c slave(LED)\n");
  exit(1);
 }

 writeAda88(bitPtnClr);  // Clear All LEDs
}
//-------------------------------------------------------------------------
void writePattern( unsigned char* bitPtn )
{
 accessAda88();
 writeAda88(bitPtn);
}
//-------------------------------------------------------------------------
void writeMark( int type )
{
 unsigned char bitPtn[2][MATRIX_MAX] = {
  {0x00,0x00,0x00,0x00,0x00,0x00,0x00,0x00}, // nothing
  {0x04,0x1f,0x04,0x1f,0x04,0x0f,0x15,0x22} // MA
 };
 writePattern(bitPtn[type]);
}

2014年6月28日土曜日

もし硬派なプラネタリウムがあったら

先日久しぶりにプラネタリウムに家族三人で行きました。
KAGAYAという方が作っている「銀河鉄道の夜」の上映を見ました。
内容自体は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の世界に興味を持ってもらうようによく出来ていますし、何しろ美しいCGがとても幻想的で、多くの人がひとときのエンターテインメントとして楽しめる内容になっていると思います。

プラネタリウムについてはかなり前に一度書いたことがあります
これも15年前に書いたものなんですが、このときにも書いた通り、私は大昔の単純に星座を紹介していたプラネタリウムのあり方にとても郷愁をおぼえるわけです。
確かに、技術が古かった当時を懐かしく感じ、それ故に現状に寂しさを感じるというのはよくある話なのですが、それ以上に、やはり現状のプラネタリウムの番組上映の現状は、やや歪んでいるのではないかという気持ちを拭うことが出来ません。


今でもプラネタリウムは科学館のような場所で上映されます。
科学館という場所は、多くの人々に科学に興味を持ってもらうようにいろいろな展示や、参加型のイベント、各種上映などを行っています。

実際のところ、そこに来る人に科学に興味を持ってもらうため、どのように展示品を見せたら良いのかというのは大変難しい問題なのですが、最終的に科学館ではお客様に何らかの科学的啓蒙を与えることが目的だと思うわけです。
アトラクションや展示が面白おかしくあることは、簡単に楽しみたい入場者にとって嬉しいことですが、結果的にお客様に科学的啓蒙をほとんど与えないのであれば、それはやはり本来の機能を果たしていないような気がします。

プラネタリウムは20年ほど前から、ランプとレンズが山ほど集積された黒い固まりの機械から映画のような上映装置に変換されていきました。
また、お客さんが見やすいように、観る方向が一方向に固定され、天球がやや傾いて映写されるようになったように思います。おそらく映写装置が標準化されたのでしょう。
それ自体は技術の進歩だし、良いことだと思います。

しかし、半円のスクリーンで映写する内容はだんだん遊園地のアトラクションのように変化し、星の紹介はプラネタリウムだからと申し訳程度に行うようになってしまいました。

星を見ることは基本的にロマンチックなことです。
ですから、ロマンチックな気持ちになることを目的にするならば、もはや小賢しい星の紹介など必要ないのかもしれません。
ですから、それがプラネタリウムだと思わなければ星の紹介がなくたって良いのかもしれません。


であれば、単純に星の紹介だけをするもっと硬派なプラネタリウムがあっても良いのではと思います。いや、実際あるのかもしれませんが・・・

私はプラネタリウムが科学的啓蒙より多くの人にロマンチックな体験をしてもらうためのアトラクションになってしまうことは商業主義的だから良くない、などと言うつもりはありません。なぜなら商売することを否定したら、世の中が成り立たないからです。
むしろ各地の科学館が右向け右して、似たような番組が全国のプラネタリウムで上映されているこの状況においては、むしろ硬派なプラネタリウムが商業的に成り立つ可能性はないだろうかという気もするのです。

プラネタリウム自体は小さくても構いません。
が、必ず季節の星座を紹介し、直近の天体ショーについて説明し、場合によっては星座にまつわるギリシャ神話を紹介し、おシャレでややマニアックな音楽をかけて、外に出るとちょっとしたカフェなどついていれば良いでしょう。
こういう場所なら、ちょっと通ってもいいよなあと私は思いますが、いかがなものでしょうか。

2014年6月22日日曜日

Macbook Airを買った

PCは27インチのiMacがあるものの、ノートパソコンを持っていないので、これまで出先でPCを持ち歩くということをしたことがありませんでした。

ところが、今年になってOSC浜名湖とかメイカーズミーティングに参加して、こういった場でPCを持っていないのは厳しいなと痛感。もちろん、それ以前からイベントに参加するならノートPCはいるだろうと思っていましたが、今年はこれからMaker Faireもありますから、このタイミングで思い切って買うことにしました。




iMac, iPhone, iPad と完全Appleワールドに染まっている私としては、持ち歩き用PCはMacbook Airしか考えられません。
しかも、メインマシンはあるので、携帯性を重視し、11inchの小さいほうにしました。今後のことを考えてさすがにメインメモリは8GBにしましたが、SSDも小さいほうの128GBです。書類等はなるべくクラウドで共用するつもり。

全てAppleワールドでまとめると、購入してApple IDを入れるだけで、ブックマークやら、これまで購入しダウンロードしたアプリやらが簡単に共有できます。
一頃に比べるとPCを買ったときの手間が全然簡単になっています。Windowsはまだまだ大変かもしれないですけどね。


今回、何気なく購入時にUSキーボードにしてみたのですが、よくよく見ると日本仕様とキーボードのいくつかのキーの大きさや動作が異なることに今さらながらに気付きました(知らないで買うのも間抜けですが・・・)。
特に最初に困ったのは、スペースキーの両側の「英数」「かな」キーが単なる「コマンド」キーになっていること。変換は頻繁にするのでこれが違うと使い勝手が悪くなってしまいます。
ちょっと調べてKeyRemap4MacBookというアプリで各キーの意味を変えられることが分かり、それをインストール。おかげさまでこの件はことなきを得ました。

しかし、以前からかな入力をしないのに、ひらがなが書いてあるキーボードが何となく間抜けな感じに思っていたのです。
せっかく持ち歩き用にノートPCを買ったので、使い勝手は二の次にしても見た目を重視してみました。そういう感覚が最近は大変重要だと感じていますので。

ということで、これからMacbook Airにガンガン働いてもらおうと思います。


2014年6月15日日曜日

未来のDAWを考えてみる

DAW(Digital Audio Workstation)とは、PC上で使う今どきの音楽製作用アプリケーションのことを言います。
たいていの場合、トラックを複数作ることが出来、各トラックにオーディオを貼り付けたり、ソフトシンセをアサインしてMIDIで駆動させたりします。
各トラックは、音量やパンニング、エフェクト設定などをミキサー風の画面で設定することが出来ます。
今ではこのDAW、オーディオを直接編集したり、MIDIを直接編集したり、ソフトシンセやエフェクト等のプラグインを読み込んで、その設定画面を表示したりするなど、音楽製作のあらゆる面をサポートする化け物アプリになりつつあります。


私が、現在のDAWでイヤなところは、まさにこういう何でも出来るというごった煮的なところです。
音楽を作る、という行為にはいろいろなプロセスが含まれます。大雑把に言えば以下のようなプロセスが考えられます。

  1. 曲構成や楽器の選定
  2. 演奏情報の入力、編集
  3. エフェクト、ミキシング、マスタリング

もちろん、もっと細かく分けることも可能でしょうが、自分の中では上記三つは作業として大きく異なっているように感じます。

音楽製作のアウトプットがオーディオ情報である以上、上記3の作業まで必要なのでしょうが、ある意味最も音楽的素養が必要ないのが3の作業でもあります。もちろんあるに越したことは無いけれど、3の作業はいわゆるレコーディングエンジニア的な作業であり、それはそれで大変奥の深い世界です。むしろ、それを苦手とする音楽家は多いと思います。

ところが多くのDAWは、特に最終段の3の作業が最も重要な仕事となるようにアプリの仕様が考えられているように思えます。
普通にピアノを弾いたり、楽譜に音符を書いたりしている人たちの中で、本当はこういったエンジニア的な業務は避けて通りたいと思う人も多いのではないでしょうか。
であれば、3の作業を別アプリで出来るようにしたり、あるいはある程度決めうちでそこそこの音を出させるようなアプリの仕様を考えることだって可能なように思えます。


私にとっては、やはり1や2の作業が中心となるDAWってないものかと思うのです。
その場合、ミキシングはざっくりやるか、別のDAW用にエクスポートしてしまえば良いのです。

逆に今のDAWのようなミキサー画面を中心とするのではなく、この音楽にはどのような楽器(パート)が使われるか、といった考え方を中心の画面にしたいです。
例えば、バンドならステージの上にギター,ドラム、ベース、ボーカルのような楽器が配置されます。そう、まず思い付くのはGarageBandのような画面です。あれをもう少し音楽家専門のアプリとして洗練させたいのです。
また、オーケストラなら、舞台上に各種のオーケストラ楽器を配置します。
他に、シンプルな弾き語りとか、室内楽とか、ジャズトリオとか、そういった楽器編成の形態を一番メインの画面でうまく見せるべきです。

音楽は基本的に時間軸をベースに作るので、右方向に時間軸が進んでいくような画面がメインとなることに異論はありません。
ただし、今のDAWでミキサーのトラックのように見えているものは、各楽器のパートのように見えるべきだし、また生の波形を見せる必要は全くありません。
むしろ見せたいものは、MIDI的な演奏情報です。ただし、楽譜では微妙なエディットが出来ないので、いわゆるピアノロール的な表現がやはり良いでしょう。

ここまで書くと、今のDAWとそんなに変わらないじゃん、というツッコミもありそうです。しかし、オーディオでなく、音楽情報をベースに全体を作り替えれば、かなり雰囲気の違うアプリになるのではないかと私は思うのです。

例えば、音楽にとってテンポ、拍子、調性はとても大事なものですから、こういった情報を非常に扱い易くしてあげる必要があります。
また、拍以下のtickの表現ももう少し何とかならないかとは思います。
画像がピクセルで表現する以上、一拍を480まで分解出来るみたいな表現は必要になるとは思いますが、例えばこの数値表現はジャストの位置に対する差分情報にするとか、もう少し扱い易くする方法はあるのではないでしょうか。

また、楽器の演奏情報の入力も、楽器の種類によって多少異なっているべきです。
管楽器は1つしか音が出ないのだから、複数音が出るようなエディットが出来る必要がありません。ギターも6音で十分だし、そもそもコードストロークというような表現で入力したくならないでしょうか。一音ずつ入れてたら面倒過ぎです。
そして、ボーカルは・・・今ならボーカロイド専用エディット画面ですね。


みたいなアプリがあったらいいなと思うわけですが、こういうのは言葉にしてお互い共感しても、実際に考えだすと同床異夢ということも多く結局は欲しいと思った人が作ってみるべきなのでしょう。
とはいえ、自分の理想の音楽製作環境をいろいろと語り合うのは楽しそうですね。

2014年6月11日水曜日

Magic Fluteの運指

電子オカリナあらためMagic Fluteの運指について紹介しましょう。

運指については以前もすでに書きました
ところが、その後何回も修正を入れており、その度に演奏に苦労しています。

最新の運指表を作ってみたので、まずは紹介します。


以前の状態から変えた点として、#とbの扱いがあります。
以前は#とbのためにわざわざ二つのスイッチをあてていました。完全な異名異音にする布石だったのですが、さすがにこんな拘りを受け入れる人は少ないと思い、半音は一つのスイッチのみを使うことにしたのです。
その代わり、一律半音上げたり、下げたりするのではなく、階名によって#になったりbになったりします。ド、レ、ファ、ソのときは半音上がり、ミ、ラ、シは半音下がります。

もう一つはオクターブ。
オクターブ用にスイッチが二つ出来たので、これで3オクターブの音域を確保しました。スイッチが2個だからといって4オクターブにはしません。さすがに単音楽器で4オクターブは音域が広過ぎる気がするし、論理演算のようなスイッチパターンも覚えるのは結構つらいでしょう。
なので、シンプルに2個押さえたら一番低く、1個押さえたら真ん中のオクターブ、全部離したら一番高い音程、ということにしました。

まずはこの運指で作った楽器を自分でたくさん吹いて,楽器としてそれなりに使えるかどうかを試してみたいと思っています。

2014年6月5日木曜日

電子オカリナあらため "Magic Flute"

さて、ついにMaker Faireに参加します。
場所は大垣。紹介サイトはこちら

Maker Faire参加に際して、「浜松手作り電子楽器クラブ」という団体名や「電子オカリナ」という出展作品名も変えるつもりです。

団体名はおいおいお知らせしますが、この電子吹奏楽器は今後「Magic Flute」という名前にします。
確かに電子オカリナという名前なら内容は良く伝わるのですが、今後の発展の仕方に制限がかかってしまいます。

というのは、今は吹き口が横についていてオカリナのような形になっていますが、吹き口を筒の向きと同じにすればリコーダーのような形にもなります。
私の考えているこの電子吹奏楽器の今後の発展形は、オカリナ型、リコーダー型などの複数の形状を想定しているのです。

形状はいろいろなものを考えていますが、この楽器のアイデンティティは6つの穴による音程指定の方法や、音色、音程のコントロールの仕方にあります。
このアイデンティティをキープしながら、楽器の形はいくつかのバリエーションを提供したいと考えています。

現時点でのMagic Fluteの写真をお見せします。

Maker Faire本番までには、LEDの取り付け部分などもう少し改良していくつもりです。
では、乞うご期待!

2014年5月24日土曜日

楽譜システム再考

現状、音楽を伝達する方法としては五線で楽譜を表現するしかないのですが、以前よりこの五線の表記システムは合理的では無いのではないか、という気持ちを感じることがありました。
五線表記システムは歴史の中で確立されてしまい、文化として根付いてしまったため、必要悪として残っている、というように考えている人も多いのではないかと思います。
最近では、DAWのピアノロールのほうがよほど音楽情報をシンプルに表現している、と思う人もいるかもしれません。

しかし、本当に現在の楽譜の五線表記システムが良くないものなのでしょうか。
一旦冷静に考えてみると、意外と合理的で他に代替手段が無いようにも思えてきました。
以下、具体的に考えてみたいと思います。


一つは、線を5本引いて、その上に音程を丸の形で表記するという仕組みです。
なぜ、5本なのでしょう。
DAWのピアノロールをもし紙の上で書いたら、たくさんの線を横に引かなければいけません。あまりに線が多いと、どの位置がどの音程かとても分かりにくくなります。
初見演奏などを考えると、線が五本以上あると視認性がとても悪いのではないでしょうか。

上はいわゆるネウマ譜という現在の五線ができるちょっと前の楽譜ですが、この時代は線が4本です。恐らく、最初はもっと少なく二本とか、三本だったのかもしれません。
これが五本を超えた辺りでストップしたのは、六本以上では視認性が悪く淘汰されたのではないかと思うのです。(調査したわけではないので分かりませんが)


もう一つ,多くの人を苦しめているものとして調号のシステムが挙げられます。ご存知、調号とは下図の表のようなものです。
現在の楽譜は絶対音高を表していますが、その位置はドレミファソラシの7音ベースで表記され、中間の位置はシャープやフラットを使って音の上下を指示します。
これも最初から12半音分の表記が出来れば、調号や変化音の指示はいらないのでは、と思う人もいるでしょう。



これについては、音楽理論を重視する人からは、調性の表現が出来なくなることに反発が出るでしょう。作曲家がこの音楽をどの調として認識しながら作ったのか、調性の中で各音がどのような役割を担っているのか、という表現が12半音表記では欠落してしまうからです。
逆に私としては、今の楽譜表記では、各調の表記が非対称なのがあまり嬉しくないです。
つまり、ハ長調とイ長調を同じ気持ちで読みたいのに、楽譜が絶対音高を示しているので、調毎に頭を切り替えて読む必要があるのです。
しかし、私の要望に完璧に答えるには、楽譜が階名ベース(移動doベース)で表記されている必要があり、さらに音楽する人たちを混乱に陥れてしまうことでしょう。

これは私の推測ですが、昔は音名と階名が未分化だった時代があったのではないかと思うのです。
実際の音のピッチを伝える手段が思い付かなかったため、地方や時代によって音高はまちまちでした。だから、階名も音名も微妙に問題を孕みつつも、同じような意味で使われていたのではないでしょうか。
ところが、楽譜システムがある程度標準化され、楽器が国境を越えて伝わるようになると、音程に対する不整合が問題になってきます。
その時点で、楽譜は絶対音高表記となり、これに調号や変化記号を付けて、調性を表現するようになったと思われます。

このように考えてみると、現在の五線表記は実に合理的にさえ見えてきます。
世の中の様々なニーズを捉えながら、どの要求もそこそこに満たしているからです。

また、五線譜はト音記号とヘ音記号の組み合わせで88鍵あるピアノ音楽さえ表記出来てしまいます。上下の加線による表現はやや厳しいですが、使用頻度を考えると落としどころとしては仕方ないのでしょう。


冷静に考えると、今の五線表記は実に合理的であり、当面は五線システムに変わる楽譜の表記方法はそう簡単には開発されないのではないでしょうか。
また、音楽は一種の言語のようなものであり、一度身に付いてしまったシステム以外のものを簡単に受け入れることは大変難しいものです。

私たちも先人の知恵にあやかり、この五線システムに対して敬意を持って接していくべきではないかと改めて考えた次第です。