2017年11月3日金曜日

またしても未来予測2

国家が衰退するとき、国家権力が持っていた我々の暮らしに必要な機能もまた衰退することを意味する。

最も大事で、直接的に我々に関わるのは、人々の安全を担保する仕組み。
警察とか、軍隊とかそういうもの。あるいは紛争解決手段としての裁判などの仕組み。
あるいは、それらの前提となる法律と、その法律を作る方法の仕組み。

おそらく国家から金融とか、財政出動みたいな機能が失われるのではないかと思う。
だから、それを当てにした仕組みも変わらざるを得ない。教育とか、年金とか、医療保険とか、治安とか。出来るだけ民営化する方向になるだろう。
民営化といっても、NPO的な感覚とか、寄付的な感覚で経営することになるだろうけど。

お金を貯めて、たくさん持っている人が今は力を持っている。
それはお金の価値がほとんど変わらないから。
暗号通貨の時代、お金自体が市場の中で競争を始める。力のないお金が没落し、人々にたくさん使われるお金の価値が高まる。
そうなると、同じ価値をずっと持ち続ける人にとっては厳しい社会になる。
常に価値を作り続ける人だけが、正当に収入を得ることができる。
お金を持っている人が、資産として持ち続けるためのお金は、価値がなくなる。流通しなくなるから。
お金を持っている人は、正しく投資するしか道がない。常にお金を使い続けることが正義。それが本当の市場原理。

政府的なもの、公的なものが衰退するのも、まさにそういう理由。
誰かが必要なもの、欲しいもの、楽しいもの、を提供出来る人が、世の中を引っ張る人になる。政治的にも経済的にも。ただ金持ちになりたい、だけの人は、世界をどう変えたいかが伝わらなければ没落するしかない。
公務員というマインドそのものが、もう要らないものになる。自分がやる必然を持っている仕事しか成り立たなくなる。

それにしても、国が衰退する過程はどうなるのか?

最近は、まずお金が一番最初にドラスティックに変わるのかなという気がしてきた。

1.暗号通貨の流通
2.国家の通貨の価値が減っていく
3.暗号通貨で生活の必要なものを買えるようになる
4.税収が減り、国家財政が厳しくなる
5.国の通貨が暴落しないと、財政赤字をチャラに出来なくなる
6.インフレ
7.暗号通貨が普通の通貨になる
8.公務員の給料がほとんど無くなり、大量に失業
9.公務員の仕事だったものをサービスとして始める人が増える
10.社会不安は高まるし、体感で世の中は確実に悪くなる
11.極端な生産性が要求され、結果的にAI、機械化がすごい勢いで発達
12.限界費用ゼロに近づき、お金が無くても生きていける社会になる
13.あるいは少額のベーシックインカムが国家では無く、企業が始める

2017年11月2日木曜日

またしても未来予測

最初のキーワードは暗号通貨と限界費用ゼロ、そしてアナーキズム。

Bitnationという話題があった。
あらゆる行政サービスをクラウド上で自動に行うプロジェクトということらしい。
これが出来れば、市役所に務める人もいらない。
行政は、住民の身分証明や、所得の把握、不動産などの登記など、ようするに個人に紐づくいろいろなデータを管理して、その出し入れをしている。
これって、まさにサーバーとかでガンガンやるべき仕事。
セキュリティの方法さえある程度担保できれば、行政手続はかなり電子化、自動化できると思われる。
そして、この話が大きく問いかけるのは、国家の必要性への疑問である。

それから暗号通貨。
これは非合法とは言えない。他にもマイルとかポイントとかもある。それが合法なら暗号通貨も合法。
ところが、これが合法だとすると、取引の記録はどのようにすればいいだろうか。円が関わらなければ、捕捉がしにくくなり脱税の温床となる。
その一方で、取引の改ざんがほとんど不可能になるため、当事者同士にとって信用はとても高い決済手段ではある。

いずれも、国家の意味を問うような技術だ。

長い目で見れば、国家機能が衰退するのは間違いない。
問題なのはどのようなプロセスでそれが進行していくかだ。今この時代から、国家が本当になるなるような時代になるのに、最低でも50年くらいはかかりそう。それより先のことは全くわからない。

だから、国家が無くなるまでのプロセスがとても大事になる。

お金の使い方も変わる。
モノやサービスを享受した時に対価として払うのが今の方法。
しかし、限界費用ゼロの社会では、モノにはほとんど値がつかない。しかし、いいものを手に入れた感謝の気持ちは作った人に伝えたい。

あるいは、多くのものがオーダーメイドの時代、我々はまず投資してものを作ってもらうようになるかもしれない。
いずれにしろ、対価より寄付、投資というお金の払方になる。
お金は払っても払わなくてもいいが、払った方が多くの情報が手に入ったり、作った人のコミュニティにも参加できる。

ここで、コミュニティに行き当たる。
コミュニティのことを考えると、ビジネスのあり方や、自治体のあり方にまで話が及ぶ。

ビジネスがどう変わるかを考えると、二つの異なるベクトルが考えられる。
規模の大きさが意思決定を遅らせ、保守的な製品やサービスしか出せなくなる大企業が衰退する。その代わり、多くの中小企業、というか個人事業が台頭する。
その一方で、巨大化した企業帝国、アップル、アマゾン、フェイスブック、グーグルなどの企業は日常のあらゆるインフラを抑えて、世界にあまねく影響力を行使する。
彼らは今の国家に近い存在に存在になるのかもしれない。

公務員の仕事は極端なまでに自動化され、ほとんどは民間の業務へと変わっていくだろう。そうでないとコスト意識が育たないから。
能力ある人々は、様々な仕事を渡りあるくようになる。むしろ、同じ仕事をし続ける人たちは、底辺に押しやられる。

こういった移行の間、コミュニティは変貌を遂げざるを得ないが、それに取り残された人々は孤独の闇に落ちていく。それを救えるかどうかは、当面は行政の仕事になるのだろう。

コミュニティは次第に、趣味とも仕事とも取れるような共通の行為をするものたちの集まりに変わっていくはず。地域コミュニティは廃れていくだろうが、結局のところ、同じ仕事や趣味のものたちが同じ場所に集まり、地域自体がある特別な仕事や趣味に結びついていくような形になっていくだろう。

しかし、人々にとって、住む場所を変えるのは大きな決断であり、このような流れは非常に緩やかに進むだろうし、宗教の問題もあって、やはり50年スパンでの変化になっていくと思われる。

まずはこんな感じ。

2017年8月26日土曜日

限界費用ゼロ社会

限界費用ゼロ社会を読みました。

サービスや製品の変動費がゼロに近く社会が訪れ、いずれ企業は儲けが出せなくなり、資本主義が終焉を迎えるという話。
その時代には協働型コモンズが台頭し、その仕組みが世界の新しい秩序になっていくだろうと予言されています。

とはいえ、私たちはあまりにお金で暮らす世界に慣れ過ぎていて、儲けが必要のない社会というものが想像できません。
お金が無ければ生活できない今の時代において、お金をどれだけ儲けるかが労働の最大の関心であり、企業活動の最大の目的となるわけで、お金に変わる価値とその価値交換の仕組みが想像できない以上、私たちは全てを金銭的価値に換算するしかありません。

そのことをずっと考えているのだけれど、今のところ、まだ私には糸口も掴めない。
例えば、限界費用がゼロになるのなら、身の回りのものがどんどん安くなるはず。確かに実際に安くなっているものもあるけれど、家を建てれば相当なお金が必要になるし、教育だって、医療費だって、今よりも未来の方が安くなって楽になっていくだろうとは誰も思っていません。

むしろ、必要な人件費を誰も払えなくなり、供給側も先細り、結果、人々も必要な製品やサービスを受益できなくなる不安に皆が怯えているようにも思えます。

◆◆◆

しかし、最近ちょっとだけ何が変化のきっかけになるかが見えてきたような気がしているのです。
簡単にいえば、「寄付」が次世代の新たな取引形態として中心になるのではというアイデアです。寄付といっても、もう少し広義のもので、今の時代に法的に定められたものとは少し違うかもしれません。

もう少し、いまどきの流行りでいうとクラウドファンディングのような経済です。
なんだ今さら、と言われそうですが、確かに私もそこまで重要なものになるとは思ってませんでした。
というか、現状クラウドファンディングもいまいち広がってない感じもしますね。

◆◆◆

なぜ製造業が大変かというと、製造施設を建設し設備を整え、試行錯誤しながら商品開発を行って、それらをある程度の数だけ販売して始めて投資の元が取れるわけで、この初期のハードルが非常に高いからなわけです。

しかし、ここ数年、このハードルを低くするための仕組みがどんどん現れています。
まずそもそも自分で工場は持たず、汎用性のある設計をすればファブレスでも他の工場でものは作ることができます。(と言っても多くのスタートアップはここでこけているわけですが)
商品開発も、3DプリンタやIoT機器、Web・スマホとの連携、汎用部品の広がりなどでゼロから考えなくても、多くのオープンソースの助けでラピッドプロトタイピングができるようになりました。

そして、必要な投資は借金や投資家の助けを得るのではなく、クラウドファンディングという名の寄付によって行うわけです。
これら一つ一つの流れがさらに加速すればするほど、製造業の起業のハードルは下がっていくことでしょう。

◆◆◆

で、限界費用ゼロ社会での新しい経済システムとして、寄付型の資金調達がどのように絡んでくるのでしょう。

このような時代に人々が購入する消費財というのは、限界費用が下がることでますます安くなるのですが、ものによってはそれがあるところで踏みとどまるのではないでしょうか。

消費する行為自体が自己表現であり、人と違っていたとしても自分が本当に気に入った製品が欲しい、という流れがさらに強まるのではと思います。
もう少し具体的にいえば、消費財の売り手が大量に増え、その結果、世界中に数え切れないほどの種類の製品が生まれるような現象が起きます。
極端にいえば、自分の欲しい商品をオーダーメイドで作ってくれる業者さえ現れるでしょう。

例えば、テレビを新規に買うとします。
置く場所のサイズや位置が決まっているので、縦横、奥行きを全て計測して、ぴったりのサイズが嬉しいし、リモコンのタイプ、音響システム、録画システムやネットとの接続、場合によっては好みのOSの選択、という要素もあるかもしれません。

こういった情報を検索すれば、世界のどこかで自分に合うテレビを作ってくれる業者が見つかります。
そういった商品はちょっと値段は高めかもしれませんが、世界に一つだけのオリジナルな商品となります。そのような一対一の関係であれば、商品にお金を払うというより、彼らの仕事に対して寄付をする、という考えのほうがむしろ気持ちにしっくりきます。

作る側も、モノを売って儲けるのではなく、定期的に寄付してもらうほうが収入が安定して嬉しいし、自分のファンの人たちへの濃密なアフターサービスも可能になります。

オーダーメイドであっても一台ごとの経費を計算しなくて済み、常に自分の活動全体の収支を考えればそれで十分です。

◆◆◆

あー、やっぱりうまくまとめられない。

製造業は寄付型、サービス業はサブスクリプション型、そして大企業はBtoBに移行し、部品開発、流通、量産といった業態になるというのが私の意見。

それをもう少しうまくまとめられればいいのだけれど。