2018年3月25日日曜日

AIが人にもたらす影響

AIは人間に無力感をもたらすのではないか。

AI将棋が圧倒的に強くなり、プロ棋士を負かしてしまう。
おそらく、数十年のうちにプロ棋士の存在意義が問われるようになるだろう。全ての対局は簡単に分析されるし、打った瞬間に悪手かどうか分かってしまう。
聴衆にその意味が分からなかったとしても、AIの下した判断に多くの人は納得してしまう。それはいわば、プロ棋士の威厳の失墜に繋がる。

そんな時代には、我々の価値観は変わらざるを得ない。
何かがすごい人に人は憧れる。同じように食事をして、同じように下世話な世界を相手にして、同じように人間として生活しているのに、自分と才能の差が歴然としていることは、多くの人にとって畏怖に値する。

しかしその畏怖の感情は、AIが簡単に持ち得るスキルであることが分かるにつれ、だんだん薄れていくであろう。
人でないもの(AI)が、あるスキルを獲得したとしても、それは純粋に工学的現象であり、努力とか才能とかに畏怖するような魔法のような感覚を想起することはない。私たちはそういうスキルを程度の低いものと認識するようになるに違いない。
また、我々がそのスキルを欲しいのであれば、クラウドなどを通して、簡単に手に入れることができる。


そんなことに人は耐えられるのだろうか?
ふとそんな疑問を抱く。
他人を畏怖するような神秘がなくなり、人より優れた判断システムが自分の思い通りに使える世界。私たちは、一度それを使ったらもう手放せないのにも関わらず、その価値をますます低く見積もるようになる。それは人間の感情がなせる技だ。同じことを人でなく、システムが成し遂げてしまえば、それは畏怖の対象ではなくなる。

だから、人はAIが熟達してしまったスキルを自分であらためて習得する気にはならないだろう。
どうやってもAIに勝てないのに、それはAIが優れているからではなく、自分が劣っていることを証明することになってしまうからだ。だから勝ち負けではなく、あくまで自然の力として受け入れるかもしれない。

それでも、世の中のありとあらゆる判断システムがAI化された時、人間が成し得たテクノロジーであったのにも関わらず、人はそれに振り回されるようになる。
このときの無力感は人類をどのような方向に導くか?


しかし、実はほとんどの人は今のテクノロジーを理解していない。
意外と人は、今のように淡々と与えられた人生を生きていくだけなのかもしれない。
すでに、自分の人生は多くのシステムによって翻弄されている。いや、むしろAIシステムは人を幸せにするかもしれない。Matrixのカプセルのように。それなら、我々がそれを忌諱する理由もない。

世の中のあらゆる諸相を知りたいと思うタイプの人たちは限られる。
しかし、そのような人々がいる限り、テクノロジーは発展するし、そうでない人はその果実を享受する。
人類は自分たち自身を間違って滅ぼさぬ限り、AIがあってもなくてもこれまで通り世界は続くのかもしれない。

私たちがこれまで何千年も培っていた匠の技はすべからくAIが習得するのは間違いない。
しかし、それは我々の仕事観の修正を迫るだけで済む、という気もしてくる。


もし、この議論で別の解があるのだとしたら、人間のように振る舞うAIが現れたらどうするか?という議論との関連性から出てくるかもしれない。

この点については、私は強い疑いを持っている。
人のように振る舞うAIは現れない、という強い確信を私は持っている。
なぜなら、人が人として振る舞うためには、人の肉体が絶対的に必要だからだ。形とか性能の問題だけじゃない。生まれてから死ぬまでの身体的変化や、事故や病気、肉親との関係、他人との争いなど、これらを経験して初めて人らしく振る舞うことができる。
それはAIとかいう前に、機械的に不可能だし、そもそも意味がない。

AIは生物的前提を持っていない。だから、ある一面で人間的な判断を示したとしても、全人格的に人間としてみなされるようなパーソナリティは持たないであろう。それが私の考え。

必要以上にAIに不安を感じる必要はない。
興味とビジネスの原則に従い、私たちは順当にAI技術を発展させれば、まあ悪くない未来にはなるんじゃないかな。

2018年2月18日日曜日

お金の無い社会の契約

会社で契約の講義を受けた。
契約とは、ある意味、他人が絡む全ての約束行為ということになる。
コンビニで何か食べ物を買うことも、契約の一つの形である。

今は、値札が書いてある商品が陳列されていて、好きなものを持って行ってお金を払えば持って帰れる。
でも、それはお金がある社会の話。

お金が無いとはどういうことか。
商品はあるが、それを持ち帰っていいかどうかは、交渉して契約が成立すれば可能となる。一人一人、一商品ずつ、それをやる。

あるモノを欲しい人が、売主に「これが欲しい」と交渉する。
売主は自分にメリットがあれば、この商品を持っていくことを許可する。


前回、ストックが微分値として、個人の信用力を表す尺度になると書いた。

おそらく、その値は1次元ではなく、多次元ベクトルなのかもしれない。
だから、お金のように単純な数値で表現することは出来ない。

買う人のストック値が高い場合、商品を与えることによって売る人のストック値が高くなるとすれば、ストック値の高い人に商品を与えるメリットが出てくる。

コンビニで食べ物を買うといった程度の取引なら、フロー的な方式の方が分かりやすいとは思うが、今の価値観による価格が高いもの、例えば住宅のような買い物の場合、このようなストック値のやりとりによる契約というのは可能性としてあるのではないか。

例えば、Aは新しい住宅を建てたい。
住宅建築のプロであるBに新しい住宅建設の依頼をする。
Bは、Aのストック値が高ければ高いほど、自分の仕事のストック値も上がるので、Aのストック値と要求を判断し、この案件を引き受けるかどうかを決める。

ひとたびBが住宅建築を引き受けたとする。
Bは、住宅を建てるため、いくらかの建材屋や、家具屋、大工、電気工事屋などに部材や専門的な工程を依頼する。

ここでもAがBに依頼したような関係が、Bとその他の業者に対して発生する。この連鎖がお金と同様に、経済システムを成していく。


お金が無いということは、値段が無いということ。
値段が付いているのは、金銭の授受という形で契約を簡略化させるためであり、お金の無い社会は、今の感覚では面倒になりそうな契約をITで簡単に実現することによって成り立つことになる。

このような新しい社会では、人は階級化してしまうのは避けられないかもしれない。
ストック値のランクによっては、永遠に享受できないサービスというのが出てくるだろう。それは貧乏だから、ではなく、自分が社会に与える価値が少ないから、ということになってしまうのだ。

2018年1月2日火曜日

フローとストック

会社経営の指標としてのBS, PLが個人の指標に変わっていくのではないか、と思っている。

BSをストック、PLをフローと言い換えよう。

フローは日々のお金の出入り。
ストックは個人がそれまで集めた信用の指標となる。

お金は法定通貨から仮想通貨、そして時間通貨に変化していく。
時間通貨とは、例えば平均的な人が1時間働いて生み出す価値を100timeとすると、それが1時間で何万になる人もいれば、一桁の人も出てくる。

1timeの価値がどのように安定するのかは難しい問題だけれど、社会全体のスキルが上がれば、1timeの価値も上がっていくのかもしれない。

その一方、限界費用ゼロ社会への移行により、「モノ」の値段は極端に下がり(場合によってはほぼゼロになり)、人が生み出す価値とは、行為そのものとなっていく。

つまり、今はモノやサービスを作ってそれを人に与えて対価を得る、という考えだが、モノやサービスを与えたのはあくまで行為の結果であり、行為そのものから対価を得る、という感覚になっていく。

ストックが低い人は、行為の結果からしか価値の創造が測れないので、結果的にモノやサービスの質で対価を得る形になるが、ストックが上がっていくと、人々はその行為に期待するようになる。未来の行為に期待する気持ちは、投資や寄付という形で支援するようになる。つまり、ストックが高ければ高いほど、その可能性だけで事前に通貨を得られるようになる。

例えば、何か日用品を買うとき、ストックの低い人は、時間通貨でそれを買う。
しかし、ストックの高い人は投資、あるいは寄付という形で、通貨を支払わずに得ることが出来る。

貨幣の意味が変わるのだ。
お金持ちは高いものが買える人という感覚から、ストックの多い人はお金を払わずにものやサービスを得られる人になる。それだけその人の価値が高いから。

つまり、お金とは個人の信用力を表す尺度となる。
高価なモノやサービス、そのものが無くなる。これまで高価だったものは、ストックの多寡で手に入れられるかどうかが決まるようになる。

ストックはフローの結果ではあるけれど、単位系が同じではないのかもしれない。
フローはtime通貨によるものだけれど、ストックとは、1時間あたりのtime値、つまり株価のようなものになる。電気で言えば、フローはクーロンで、ストックはアンペア。
ストックなのにフローの微分値という感じ。

しかもストックには負債という概念は無くなる。

人にtimeを与える場合、その人のストック値に応じて1日あるいは1ヶ月単位の最大値が決まる。例えば、普通の人は2万timeを与えられる(使える)が、ストック値の高い人は100万timeを人に与えられる。
ただ、それは与えなかったから貯まるものではない。最大使用料のようなもの。通信の最大パケット数のようなもの。

ストックを微分値で表すために、我々には資産をどんどん貯めていきたいという価値観が無くなっていく。
常に今の行為に対して、time値が入ったり出たりし、その人の時間あたりのtime値がストック値として保持されるのみだ。